サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

井上栄次さん

 共産党の元県会議員だった井上栄次さんが来年早々、100歳になられるそうです。
 井上さんは、1912年(明治45年)1月8日、山口県の市下関の雑貨商のもとに第4子とし生まれました。1912年は、タイタニックが沈んだ年、孫文中華民国を樹立した年だそうです。
 不幸にも、満1才になるまえに両親ともに亡くします。
 日本共産党への入党は、戦争が終わって3年後の1948年、戦前からの活動家・西里辰夫さんの薦めだったそうで、当時36才でした。
 熊本県御船税務署に勤務していた井上さんは1949年、「行政機構職員定員法により免職する」との通知で突然解雇されます。
 いわゆる「レッド・パージ」です。これより日本朝鮮戦争の前線基地となります。最重要の兵站基地の日本で、共産党反戦運動をやられたら戦争ができんとのアメリカの思惑でした。
 井上さんは、衆院1区に立候補し落選。その後は熊本市議選3回、県議選も3回と負けなし。熊本市共産党の初議席を切り開きました。
 1971年の県議初議席はアッとおどろくトップ当選で相当沸いたそうです。今でも「あーだった。こーだった」などのエピソードをよく聞きます。(当時私は天草で中学生)
 議会では、水俣病や川辺川ダムの追及などで、共産党の存在感を強く印象づけました。
 選挙にめっぽうつよい人で、それだけ人望が厚く、気さくで楽天的な感じの人です。街頭演説でも挨拶でも声が太く、よくとおる声でした。(写真-2010.1)

 議員引退後も原水協理事長などで活躍。下通りの各種署名活動、集会やデモ、学習会にも、ついこの間まで参加されていました。(写真・左端が井上さん)
 今は介護施設におられるとのこと。私たちが井上さんから学ぶものは多いものがあります。しかしネット上には、ほとんどでていません。
 来年、本を出版されるとの事で楽しみです。また100歳を祝う会も1月早々にあるとの事で、それらで出された資料を時々紹介したいと思います。
 井上栄次さん、いつまでもお元気で。
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12/8⇒そういえば今日は、日本が真珠湾の奇襲攻撃を行い戦争を始めた日。
 二度と戦争を始めてはならないとの思いを新たにする日。
 もうひとつ。ジョンレノンが凶弾に倒れた日でした。べっチさんによれば、あれはCIAの仕業ではないか?と…。
 そして彼のクリスマスソングの子どものコーラス部分は、平和へのメッセージらしい。知らんだった。今、彼が生きていれば、どんな言葉を発し、どんな曲をつくるだろうか。残念。
 でも遺志はうけつごう。