サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

「原子力の平和利用」の「安全神話」

 私は個人的に、311原発事故以来、いろいろ考え、調べ、学ぶ中で理解した事がありました。
 「原子力の平和利用」と言う「安全神話」を払拭できずにいた自分、この不明を率直に恥じなければなりません。これからは幅広く、全国、世界、各界、運動、学術ほかにも学びたいと思います。
 若い頃は、①原発の危険性があっても、技術が未完成なだけで、将来的には原子力エネルギーに可能性があると思っていました。ただ、安全性だけはキチンとすべきと。
 ②その後、チェルノブイリで大事故が起こったり、日本の原発の事故が起きるたびに、技術が未完成なので新しい原発は作るべきではない。しかし現存する原発は、安全面もキチンと管理することを前提に、稼動はやむを得ないと思ってきました。また将来、核エネルギーは、安全に管理される時代がくるかもしれないので研究は続けたほうがいいと思っていました。
 ③現在は311事故を受けて、長く原発反対をかかげてきた人たちに学ぶべきものを見つけ、今年の4月以降、原発は、早急になくすべきと考えるようになりました。原発の開発以来約60年、安全な原発についての研究・開発が続いてきました。しかし、今回の福島原発事故ありさまは悲惨で、解決のメドすらたっていません。「将来」の可能性のことは、将来の人に託していいと思うようになりました。
  直面する課題は
 ①原発をなくすこと=スローガンは、「原発ゼロ」でもいいですけど、歴史と知名度のある「脱原発」でいいと思います。核兵器と共に、原発をなくす世論と運動を世界的に広げること、まず日本で広げることに力をつくす。
 ②次に「死の灰放射性廃棄物の問題です。すでに生み出してしまった、日々、生み出されている膨大な放射性廃棄物の安全管理技術、処理技術(無毒化)、安全な廃炉技術の研究に、科学者、技術者の力を集中すべきと思います。それが研究面で政府が直面する政策的な最大の責任だと考えます。
 ➂同時に、自然エネルギー、低エネルギー、持続可能社会への移行も急がれます。さらにいえば、大量生産、大量廃棄の、地球・自然負荷の限界を超えた人類社会のあり方の転換、人類の新しい幸福感への発展が必要とも思っています。
 わたしの認識が特に発展したのは、「死の灰」の問題についてです。原発では毎日、電力生産と引き換えに、放射性廃棄物と言う猛毒物質を大量生産して貯蔵しています。その量は、日本だけでヒロシマ原爆の死の灰に換算して、約120万発分だそうです。気が遠くなるような話です。しかも無毒化できず、冷やして閉じ込め、何万年も時を待つ以外ありません。その毒物は、原発にもあれば、再処理工場にも膨大に溜まり続けています。
 電子レベルの化学処理で無害化が可能ならいざ知らず、「死の灰」の無毒化と言う原子核の操作技術は到底できないと思います。「将来」にもよりけりですが、今、言及すべき「将来」レベルで、そんな技術は持ち得ないと思います。
 「将来」の「原子力の平和利用」を論ずるなら、「死の灰」の無毒化が可能になってからすればよい話だと思うようになりました。私は、現在も近い将来も遠い将来も自然エネルギーと低エネルギーが一番と考えます。
 写真は、先日行ってきた、鹿児島県の川内原発の資料館の実物大の圧力容器です。ここで30年以上も生産された「死の灰」は、何十万年も、何世代も何世代もの人々に、誰かに、管理をお願いしなければなりません。私たちが電気を使って、そして毒物を生み出してきたのですからです。
 誰が引き受けてくれるでしょうか? これからも生み出しつづけていくなら、なおさら、答えを出さなければなりません。