サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

“牛の鈴音” 久しぶりに涙でした。(映画)

 おすすめです。実家を思い出しました。ウチにも1匹の黒牛がおり、草を刈ってきて、ワラを切って、豆かすを混ぜて食べさせるが少年時代の私の日課でした。
 子牛が生まれる時もたいへんでした。逆子の時は、出てきた子牛の足にロープをくくってひっぱっていました。
 子牛を生ませ大きくなったら「競り」に。市場に連れ出すときに子牛も母牛も「モー」「モー」泣くのが耳に残っています。生んで育てては、連れて行かれ、なんか母牛がかわいそうな気がしていました。
 「競り」の時は、「子牛が何万円で売れた」とか「安かった」「高かった」とか、親が話していました。その日は、ご馳走の日で、嬉しい日でもありました。いま思うと、私の人生の一部分は、あの母牛らが支えたのだと思います。
 ある時、遊びに行くため庭から走って行ったら牛から追いかけられました。ビックリして泣きながら必死に走って、路地に逃げ込んだ事もあります。牛のロープがつないでなかったんです。(オヤジのばかやろう)。
 こんなこともありました。モチを食べていて、半分ぐらい残ったモチを牛にやりました。そしたら牛のノドに引っかかり、「モーモー」苦しんで大変な事になりました。獣医さんを呼んでやっと助かりました。少年ヤストは、人間はモチを食べられるが、ウシは食べられないんだな、と知りました。
 

 映画の老夫婦と老牛、老夫婦の会話も私の父、母そっくりの感じです。「幸福ってなんだろうな?」と思いました。
 牛は幸福だっただろうか? 
 牛は、死ぬまでこき使われた、歩ける最後までおじいさんと働いた。牛は、年をとって死んだ。人間に食われないで、おじいさんに感謝されて、おじいさんに葬られた。
 おじいさんは、幸せだっただりうか? 足が悪く、ツエをつき、足を引きずりながらの農作業。農薬も使わず、機械も使わない。おじいさんは幸せだっただろうか?それは分からない。でも農薬が使われなかった田んぼと畑のタニシや虫や微生物は、のびのび生きて幸せだったに違いない。他人と、また他の生き物と生きることは、自分の幸せの大事な構成部分かもしれない、と思いました。
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