サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

ナチ・ドイツと言語-「ゾフィーの選択」

 ナチ・ドイツを言語宮田光雄著・岩波)。ずいぶん前に買って途中まで読んで、そのままになっていた。後半をざっと読んだので紹介したい。
  目次は1、独裁者の言語 2、映像の言語 3、教育の言語 4、地下の言語 5、深層の言語となっている。
 著者は、「深層の言語」で、当時の人がどんな夢を見て、その深層心理は何を物語るのか?を、いろいろな著書で紹介している。
 夢判断といえばフロイトだろう。それを発展させて、E・フロムは「眠りの状態において、われわれが自分一人になり、白昼にわれわれを取り囲んでいる騒音やナンセンスに煩わされることなく、自分自身を反省することができる」と語っている。
 ナチス時代、いろんな人々がいろんな時期のいろんな夢をみたのだろう。宮田氏が何人か取り上げている。
 そのなかでナチスへの抵抗運動-「白バラ」に加わった21才の女子学生ゾフィーが処刑前日に見た夢があるゾフィーは自分がみた夢を、同じ獄舎に入れられていた女囚に語っていたようだ。その人が書き残している。
 「私は、陽のぽかぽか当たる日に、長い白い着物をつけた子どもを一人抱いて洗礼にいった。教会に行く道は険しく山を登るのよ。けれども私は、その子を固くしっかり腕に抱いているのよ。すると突然、目の前に氷河の裂け目があるじゃないの。私は、とっさに、やっとのことで、その子をを安全な向う側に渡せたの。― そしたら私は、裂け目の底へ墜落しちゃった」
 私に解釈はわからなかったが、次のような深層心理らしい。
 「彼女が抱く『子ども』は、彼女が闘いとろうといしている新しい可能性を象徴している。『洗礼』というのは、精神的な純化と転換の象徴であろう。すなわち戦争末期に、とくに苛酷さを加えていった非人間的なナチ支配体制の根本的転換を暗示している。この時点で彼らの抵抗運動は挫折したとはいえ、自由の理想に対する彼らの希望は生き続けている(F・W・ドゥセット-第三帝国の心理学
「白バラ」の映画を2本ほど観た時の私の思いは、「覚悟はしていただろう。しかし21才の女子学生だ。処刑される前日は、どんな思いだったろうか?」と複雑な気持ちだった。
 しかし、彼女がみた夢から判断されることは、実に前向きだった。当時の彼女の「覚悟の選択」。命は奪われてしまったが、ドイツの人たちが今日に生かしつづけている。
 言論・思想の自由を主張・行使することで、命が奪われたり、不利益を被ることがないように、再び軍国主義の亡霊が立ち振舞わないよう、あらためて決意をしなければと思う。
 獄中や拷問で死んだ私たちの先輩は、どんな夢をみたのだろうか?。 今日、日本では十分には生かされていない。
 
 あす、もう1人、夢を紹介します。