サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

親を思う特攻隊員の遺書に涙

 「朝日」社説の隣にあった投稿が気になった。
 18才の女子高生、「親を思う特攻隊員の遺書に涙」との見出し。
 (前略)「私もその時代に生まれていたら、きっと家族、恋人、友人のことを考え、何よりも強く『死にたくない』と思うはずだ。
 私はネットで特攻隊員たちの遺書を見た時、涙が止まらなかった。中でも一番心に残ったのは『人生50年、自分は20才迄長生きしました。残りの30年は父母上に、半分づつさしあげます』(相花信夫少尉)こんな優しい言葉を20才の青年がどうして残せるのか。きっと心が日本のために戦っていたからだ。戦争は絶対に反対だが、特攻隊の存在を知ってほしいと思う」 

 彼女が感じたこと、思いは、本当によくわかる気がする。悲劇を前に言葉を失う。
 だけど、想像してほしい。よく考えてほしいと思う。そこに真実はないと。
 もし相花氏が生きていたら、戦争の真実が明らかになった今、何を語るだろうか?彼が生きていたら、今、何を書くだろうか?それを想像してほしいと思う。
 戦争の真偽も実態も知らされない、偽りの中で死を強制された遺書だった。不正義の戦争に、国家と戦争指導者が、人の命を軽んじて送り出すために、家族は、死を美化した遺書以外に受け取る自由はなかった。
 戦争には、戦場に行かされる若者と、戦争決めて、始めて、若者を戦場に送り出す側の者がいる。そして送り出す側は、自分の子どもたちを戦争には行かせない。その子どもの子どもが今、戦場に若者を送り出す立場にたっている。
 当時、同じ強制された死でも、こんな死もある。不正義の侵略戦争に反対したために、投獄され、拷問され殺された死だ。そんな死も少なくはなかった。
 稀に獄中から生き延びた人の中には、外国では、ネルソン・マンデラのような人もいる。
 同じような話に、ナチス時代の話に「白バラ」の話がある遺書は残せなかった。でも処刑される前の晩に見た夢を看守に話、私たちに残してくれた。
 誰にでも、死は肯定的な理由をつけなければ向かえない。でも客観的に見た場合、その理由は大きく違う。

.
 対米戦争を開始した12・8の「朝日」は、秘密保護法成立−「憲法を骨抜きにする愚挙」との社説の載せた。
 「国民も問われている。こんな事態が起きたのは、政治が私たちを見くびっているからだ。国民主権だ、知る権利だといったところで、みずから声を上げ、政治に参加する有権者がどれほどいるのか。反発が強まっても、次の選挙のころには忘れられているに違いない― そんなふうに足元をみられている限り、事態は変わらない。国民みずから決意と覚悟を固め、声を上げ続けるしかない」そのとおりと思う。たたかいはこれから。国民的規模で。その呼びかけを映画人や俳優、タレント、スポーツマンほか、有名人、学者ほかが果たしてほしい。