サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

人新世の資本論③ 脱成長

f:id:adayasu:20200925213207j:plain:w290:right この本が刺激的なのは、斉藤氏がSDGsを、目下の危機から目を背けさせる「大衆のアヘン」のようなもと言っていることだろう。
 私もそこまでは思わないが、日本においては特に、行政も企業も鮮やかな広告宣伝ばかりが目立ち、石炭火発の廃止とか再生エネへの転換とか、正面から課題に取り組んでいないと思うからだ。
 しかし多くの人は、環境対策をなんとなくやっている気分になりがちだ。
 「人新世」-人類が地球に地質学的な痕跡を残しつつある時代への認識が大事だ。典型的なのは温室効果ガスの排出で大気の組成を変え、地球全体の気温上昇が続いていることだ。産業革命以前、大気中のCO2濃度は280PPm以下だったが、今や415ppmまで上昇し、気温も1.1℃ほど上昇している。
 400PPmだった時代は、今から400万年前までさかのぼり、気温は2~3℃高く、グリーンランド西南極も氷床が融け、海水面は最低6メートルから十数メートルも高かったと古気候学は指摘している。
f:id:adayasu:20201004184328j:plain:left そんな事態に陥ることを避けるには、1.5℃以内にとどめる必要があり、その為には、あと10年で温室効果ガスの排出を半減し、30年後には実質ゼロにしなければならない。
 過去を振り返れば、1988年に温暖化対策を強めるためにIPCCが設立されて、すでに32年間もたってしまったが、温室高ガスは増加の一途をたどっている。
 話題となった「不都合な真実」のアル・ゴアIPCCノーベル賞を受賞してからも13年がたった。
 それなのに何故、いまだに温室効果ガスの削減が進まなかったのか? また、今後の社会のあり方はどうすべきなのか?
 この問題を斉藤氏は、晩年のマルクスの立場から解明し、新しい提案--資本主義に代わる「脱成長コミュニズム」を唱えている。
 私も斉藤氏の考えに出会う前までは、マルクス(日本のマルクス主義者が)は生産力の果てしない上昇を目指していて、環境への負荷、地球の限界を考慮しないでいることに強い疑問を持っていた。
 「ローマクラブ」の「成長の限界」などを読みながら、有限の地球において無限の成長はありえないと--。
 SDGsは「持続可能な開発」だが、途上国も含め自然破壊の開発はやめて、環境負荷を減らす、少しでも元に戻すことこそ必要と思っていた。
「脱経済成長」はそんな思いにピッタリだ。現在の経済成長は格差拡大や自然破壊を進めており、しかし多数の人々の幸福につながっていない。
 人類全体では、有り余る物質を生産していながら、人々は休まず忙しく働きつづけて時間に追われ、家族でゆっくり食事をする時間もなく、人間的な幸福を感じていない生活状態の人々も多い。
 それらの根本に資本主義というシステムの問題が横たわっていると、様々な例を挙げて示し、その転換を求めているのが斉藤氏だ。