今日は、親戚にあたり、同級生の父親のTさんが亡くなったため天草・苓北町まで葬儀に出かけた。
私の実家から近い人、享年97才でした。
聞けば、徴兵され、22才で関東軍に配属された。
敗戦後は、4年間シベリアに抑留されたそうだ。
戦地がどうだったのかわからないが生き延び、極寒のシベリアでも生き抜き、結婚して4人を授かり育てた。その次男が私の同級生、ウナギ釣りの名人。
私の親父は(亡くなった)、難聴のため徴兵に落ちた。戦争に行かなかったため戦死もせず、私が生まれたというわけだ。で、みなさんにも今、ブログを見ていただいている事になっている。
実は、そのTさんの兄は戦死されたようだ。結婚して間もないころだったという。
残された妻は、とても悲しかっただろう。戦争未亡人となった。
そして実家に帰される事になった。でもその人の事は覚えている。私のおばさんだから。子どもの頃は、よくお年玉をもらった。子どもだったので事柄を知る由もなし、気が強そうな人だったが、なんか寂しそうな感じがしていた。辛かったのだろう。
戦争の生き死にが人生を変える。戦場となった国の人の、幸福だったはずのたくさんの運命も大きく変えただろう。
Tさん、1年ほど前に会った頃は元気で、戦争体験の話をしてくれるよう録画を申し込んでいた。逡巡されていたのでそのままだったが、関東軍やシベリア抑留とは知らなかった。もっと強くお願いすればよかった、と後悔した。冥福を祈りたい。