「開戦前夜」のファシズムに抗して(かもがわ出版)をもう少しで読み終えます。9人の共著ですが、示唆にとんでいます。
最近の世情について、なんとも理解できない現象が起きていて、わたし戸惑っています。
安倍内閣の閣僚ほか、自民党議員から、これでもか!と、不祥事が相次いでいるのに、内閣支持率も自民党支持率も下がらず、逆に上がっていることです。なんでしょうこれ?
PTT交渉の中心人物だった「政治とカネ」の甘利さん、大臣だけやめて仮病入院でしょう(おそらく)。
不倫が発覚した、議員に立候補予定者、暴言を吐いたり、めちゃクチャなのに、それで結局、済まされる。なんでしょうこれ?
強いものがやりたい放題しても、許される社会、これが「ファシズム前夜」ということなのかもしれない。
逆に、弱い立場の人は、「自己責任」として、周囲、隣人からさえ、後ろ指をさされる空気だ。
本の中で白井聡さんが書いている事に、ちょっと注目した。
「安倍政権を生んだ必然性、それにふさわしい社会の状況というものがある」として、安倍晋三個人のパーソナリティに還元してはならないと指摘する。なるほど。社会、国民の側に
「(重要なことは)それが2度くりかえされるとき、いわば人びとに正しいものとして公認されるようになる」とヘーゲルの言葉を紹介する。
それですそれ。
なんか、おかしいと思っていても、既成事実化され、受け入れてあたりまえになってしまう。お上に逆らわず従順というか、強いもになびく、媚びるというか…。
自民党がTPP絶対反対を公約し、反故されても、結局は受け入れる、農協・上層部。嘘つかれて騙されても、怒りが持続しない不思議…。
世論調査でも安保法制に反対、原発にも反対の国民が多いが、それを推進する安倍政権を結局、支持する、不思議。
日本国国民の主権者自覚度は、いかほど? 分析・評価なしには、今後の展開できないような気がする。しかし多くの国民は、なぜ安倍政権・自民党を支持する?