サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

血液に入り込むナノプラ

 「くまもと健康友の会」だよりに、地球環境問題で原稿を書いており、今回で9回目になりました。
 今日は、これで。

 「3月21日の「熊日」1面を見て驚きました。見出しに「人の血液にプラ微粒子」「国内初検出 臓器に有害物質も」とあります。研究者グループによれば、血液からマイクロプラスチックより小さく、細菌サイズになったナノプラスチック粒子が見つかり、PCBなどの有害物質が腎臓、肝臓から検出されたとのことです。有害物質が付着したナノプラが肺や腸などから吸収され、血液をつうじて全身に回り、蓄積される‥恐ろしい限りです。
 プラスチック製品は、軽くて便利で安い。化学物質の添加しだいで、熱や光に強く、伸縮自在で、あらゆる日用品、工業製品に使われています。プラスチックのストローが鼻に刺さったウミガメやクジラの胃袋から大量のプラスチック廃棄物が出てきたニュースを見て、大きく関心が広がった時期もありました。
しかし、より大きな問題は、目に見えない微細なプラにあります。私たちが使ったプラ製品の一部は、川を通って海にたどり着きます。様々な過程で微細になり、空気中にも漂い呼吸するたびに肺から、また飲食をつうじて体内に取り込む事になります。
有機水銀胎盤を通過して、胎児性水俣病を発症させました。やがてナノプラも環境ホルモン物質を付着させて胎児へと到達するでしょう。数十年後、未来の子どもたちはどうなるのだろうと、とても不安になります。医療はどう対処できるのでしょうか?
 2年前に、気候危機に取り組んでいるフライデーズ・フォー・フューチャー熊本で、街の下通り附近でプラゴミ拾いをやり、さらに川の白川沿いのプラゴミ拾いをやり、最後に海のプラゴミ拾いをやった事があります。海は上天草市高杢島と樋合のビーチで、小中学生から、大学生~75才まで31名が参加。短時間に、ビニールやプラ容器はもちろん、農漁業の資材、発泡スチロール、タイヤまで、膨大な量が集まりました。砂に埋もれ、海底に沈んだものは、どれぐらいあるか見えません。やがて微細になって、造った人間の元に戻ってくるでしょう。いま急いで、汚染発生源の私たちが責任を自覚し、脱プラ社会への合意と実行へと進む時です。」
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adayasu.hatenablog.com

サッカーができなくなる日

 インドが日本のGDPを超える予測が1年早まって来年になるそうだ。円安の影響もあって。
 で日本のGDPは世界5位に転落した。
 誰の責任なの?技術も転落、借金地獄にも転落、人権問題でも昭和のまま。
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 さて経済成長が著しいアジア。気温上昇も進んでいる。
 27日(土)、フィリピンのマニラでは気温が38.8度になったらしい。1915年の38.6度を上回り、過去最高記録。
 良い話がない。
 (以下、森さやかさんのブログ)
news.yahoo.co.jp
 気候危機を語る場合、どうしても暗くなり不安がひろがる。
 そうした傾向は、マイナスになるそうだ。
 とはいえ、一向に解決方向に向かわない現実もある。
  とはいえ、

 よい話をひとつ。
 サッカーと気候の話。
 スポーツやるみなさん、この動画を、ぜひご家族で見て下さい。
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対米従属の謎② 事前協議を生かす政権交代

 松竹伸幸氏の「対米従属の謎」(平凡新書)のつづきです。
 第4章の「平和が戦争下の決定権がアメリカに」のところもなかなか良い事が書いてあります。
  金門・媽祖事件というのは、知らなかった。いわゆる第二次台湾海峡危機と言われるもの。
 冷戦下、朝鮮戦争など色々いきさつはあったようですが、中国側が大金門島・小金門島に砲撃を行い戦闘が行われたことがあった
 米側は、第7艦隊の空母7隻を台湾海峡周辺に派遣し、中華民国軍への物資補給を支援し、空軍、海兵隊、陸軍の3軍の共同演習を行って中国人民解放軍側に警告した。
 この時、空母はどこから来たかというと、日本の横須賀。

 もし中国が引き下がらず米中戦争になっていたら、中国は米軍の出撃基地である日本を攻撃せざるを得なくなる。米側には、核兵器使用の検討すらあった。
 米軍の出動によって、場合によっては日本が米国の戦争に巻き込まれる危険性が出てきた。そこで岸内閣は新安保6条で、米軍の部隊の重要な変更は「事前協議」がされることになった。
 もっとも密約があって実行性が伴っていないが。
 松竹氏は、「事前協議」と「密約」によって日本政府は、「台湾であれどこであれ、この地域の平和は日本の安全にとって重要なのであり、しかも平和のために軍事行動するかどかの『判定』するのはアメリカであって、日本はそれと違う態度をとらない」「日本の平和を願えば願うほど、アメリカの軍事行動を支える事が大事だ」となってしまっていると解説する。その通りと思う。
 「事前協議」---しかしそれは政権しだいだ。自民政権ではできない。
 南西諸島~九州に至る地域が戦場となるなら、国民世論に押された新しい政権なら、公式に米国に事前協議を求め、日本の安全を脅かすとして、米軍出動も自衛隊出動も断る事もできるだろう。
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 ただ、思う事がある。
 松竹氏は、アメリカの軍事行動を支えるのは、何かについて書いていない。それは自衛隊
 米国の戦争のために、在日米軍基地が使われるだけではない。
 密約によって、米軍は自衛隊の指揮・統制権までも持ち、自衛隊を動かすことになっている。
 今や密約は合同訓練で実動を可能にし、バイデンとの会議で岸田首相は、それを公然とさせ、大きな世論の反対もなく普通にしてしまった。
 自衛隊「合憲論」の松竹氏は、米軍指揮統制下で、日本国民の安全よりも、米軍の利益によって動く自衛隊をどう説明するのだろうか?
 松竹氏は、「自衛隊活用論」について様々議論をしている。
 それはよくある「窮迫不正の侵害」への対処を理由としている。
 だが、現実に進行しているのは、米軍による「自衛隊活用」論ではないか。
 米軍は国益のために、「窮迫不正の侵害」を作り出そうとしている。日本でも世界中でも。
 「シン・日本共産党宣言」では、「日本の防衛政策は専守防衛アメリカの抑止力との組み合わせ」だと主張している。
 これを日本共産党の政策にするため党首公選制を求め、党首として日本共産党の基本政策にしようという。
 「対米従属の謎を」書いた2016年からも大きく変わってしまった。なんだろうか?

対米従属の謎① 対米従属の現実、原点

  「対米従属の謎」(平凡新書)を買って読んでいる。前に読んでいたとハズと思っていたけど‥‥やはり古いのが出てきた。(2冊もったいない)
 2017年の発売、松竹伸幸氏の本で、日本の対米従属の現実、従属の原点、従属の形成、従属の展開、従属の深層を分析し、対米従属から抜け出す道を探っている。

 まだ途中だけど、この本、分かりやすく、よく書けていると思う。
 第一章の「日本の対米従属の現実」では、1977年の横浜での米ファントム墜落し、子どもたちが亡くなった事故でのことが記されている。従属の現実として、米軍パイロットは自衛隊に救出され、アメリカに帰り、日本はおろか、米国でも裁かれることがなかった例を示している。
 また、日本が全土基地方式として、基地や施設はもちろん、低空飛行など訓練も区域もやりたい放題だが、イタリアやドイツなどでは、国内法が優先されているなど、地位協定と実際の運用の違いなど、分かりやすく比較されている。
 イタリアでは、米軍は、すべての航空機の飛行や管制、物資の輸送なども、当局に届け出や許可が必要になっている。
 第二章の「従属の原点」のところで、あぁそうだったと思いだしたのが日米安保NATOの始まりの違い。
 日本は米軍の単独占領、ドイツは米軍やソ連軍も含む分割占領だった。そのため各国で様々な意見調整が行われた。
 決定的違いは、米国やイギリス、フランスなどの勝者の軍事同盟に、対ソのため、敗者のドイツが加わった事。日本では、勝者の米国が、敗者の日本に占領を継続しておしつけ、対ソ対中戦略の拠点としたこと。
 この本で書かれている事の多くは、松竹氏が共産党本部の勤務員の頃の情報と認識だろうと思われる。わかりやすいし、内容については、ほとんどそのとおりと思う。
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 これらの本を再読しているのは、松竹氏がどこで「シン日本共産党」で展開している「核抑止力抜き専守防衛」、つまり安保条約容認に変わったのか知りたいからだ。
 松竹氏は、自衛隊を合憲とするようだが、米軍「統合防空ミサイル防衛(IAMD)」の指揮統制下に組み込まれ、南西諸島を中心とした中国とのミサイル戦争を戦おうとする自衛隊をどう合憲とするのか? 専守防衛?…… 専守防衛だろう。
 そのあたりの認識、変遷を知りたい。
  半田滋さんの動画、よくわかります。
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部分社会論について② 司法判断は?

 部分社会論のつづきです。
 小・中学生の場合、住んでいる校区によって行く学校が決まってしまします。
 基本、生徒も保護者も学校は選べません。
 選べないのに、制服があれば制服を着なければなりません。私服でいい場合は強制は発生しない。これは不当な強制です。
 しかも学校の主人公の生徒たちなのに、生徒たちが自ら自発的に決めた校則・ルールでもありません。
 誰が何を着るかは、個人の自由の中心であり、各人に任されるべきで、通常生活ではそうなっている。
 この地域に住んでいる人は、「〇〇を着なさい」という強制はどこの世界にもありえない。服はファッション的な意味もあるが、朝、昼、、暑さ、寒さ、風、湿度などに合わせて個人の体感や気分と合わせるもので、他から強制されるものではない。仕事などの場合以外は。
 学校という場だから、子どもだから、という理由での強制にも、正当なものはない。だから部分社会論はなりたたない。
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 さて団体や政党、宗教の場合はどうだろうか?
 ある種の目的や考えが一致する、任意のあつまりだ。
 加入も離脱も自由。考えが違えば、やめてしまえばいい。
 特に宗教や政党などは、強い理念や信念、強い絆で結ばれている場合もある。
 その団体で決めた事に、他からの介入ができないのは当然で、法律に違反していない限り司法と言えども同じだろう。
 松竹氏は、この原則を一応、理解しながらも、共産党内部の除名処分の取り消しを求める裁判を起こしている。
 求めているのは、①党員への復帰 ②名誉棄損として550万円を請求
 主張として、いくつか「部分社会論」を適用しない事例を出して、これに挑戦しているが、当然ながら厳しいのではないか。

 法律違反の事実やその蓋然性が明確ならともかく、これを認めたら、裁判官が結社の是非、運営の是非を判断することになる。これでは憲法21条に記された結社の自由は保障されず、社会に大きな混乱をもたらすことになる。
 しかし、松竹氏は相当な思いのようで、最高裁の判断までねばるかもしれない。
 人生の最終期に、このことに人生をかけているかのようだ。
 納得いかない事に、納得いくまで行動する事は、よい事には違いない。一般的には。
 しかし、松竹氏の人生を考えるに、よけいなことだが、私には残念に思えてしかたがない。
 今の日本の現状、特に指揮統制権まで日常的に米軍に移譲すると岸田首相がバイデン大統領と約束、主権国を放棄する事態だ。
 今や日本は、敵基地攻撃ミサイル保有、軍事費倍増、沖縄・南西諸島・九州への自衛隊基地建設、日米合同演習などなど、中国と米国の対決の最前線の戦場なろうとしている。自公政権自衛隊は、米国のための「捨て石」に自ら進んでなろうとしている。
 弾薬庫も増やす、オスプレイは飛び交う、南西諸島から12万人もの戦争避難訓練も行う。この危険な事態に抗い、知性の筆を振るうのがジャーナリストではないかという思いだ。
 裁判を行うのは自由、自分の考えを貫き通すのも自由だ。同時に、今、戦争目前ともいえる日本の事態、米軍の下請け自衛隊の実態にも目を向けて力を発揮してほしいと思う。何がより大事なのか‥。少なくとも両方大事にしてほしい。
 その点で戦争への道に、ストップをかけようと頑張っている政党は、日本共産党だけだ。それは理解してもらえると思う。

部分社会論について① バイクで謹慎

 「部分社会論」。
 これについては、子どもが小・中学校だったころいろいろ調べたものだ。
 まずは、私の体験から‥。
 高校2年のころ、私は2週間の停学を受けた。母親は学校に呼びだされ、私は謹慎で反省文を書かされた。
 私は法を破ってはいなかった。だが、学校の校則を破ったからという理由だ。
 バイクは90CC.。二人乗りはOK。ペルメエットをかぶってなかった。しかし、ノーヘルは違法ではなかった。
 だが、校則に違反となり、2つの違反で1週間×2=2週間の停学となった。
 海岸線の国道を2人乗りしてスピード違反もなく走っていたら、おまわりさんに止められた。
 キップは切られていない。学校に通報されて発覚。
 「チクリ」だ。
 これ、警察の仕事か?
 今だったら、会社員が、交通違反ではないが、社内規則違反かもしれないと、警察が会社に通報するか?
 
 16才になって免許を取れたらバイクの運転ができると、日本中の国民に権利として保証されている。
 だが、学校で規則とされれば、「部分社会」という学校の規則で処分ができるというものだ。法は犯していないし社会的にも問題ないが、部分社会では処分できる。
 高校生の事故が多かったので、注意喚起、啓発の重要性はわかる。
 「なにか?おかしい」
 と、当時の16才の安達少年は考えることもなく、もやもやしながらも、学校に呼びされれた母親に申し訳ないと思いながら、粛々と謹慎にしたがった。
 その後、社会全体でヘルメットの着用が義務とされ、シートベルト着用も義務となった。
 ならば道交法そのものを早くから改正して、ヘルメット義務にすればよかった。
 学校現場などでの「部分社会論」は、権利侵害の違憲と考える。
 たとえば校則に記された制服だ。
 健軍小学校は、自由服なのに、電車側をへた泉ヶ丘小学校は制服(標準服)が決められていた。
 中学校も制服。しかも私のころは、男は丸刈り強制だった。外国人から見れば、その姿は陸軍の下士官学校の生徒だ。
 それが強制された。全国的に、校則の制服や丸刈り問題は、人権侵害として裁判となったが、ほとんど「部分社会」論が適用され合法とされた。(最近は知らない)
 
 今、松竹伸幸氏が、この「部分社会論」を政党に適用しようとして、日本共産党を相手に裁判をたたかっている。さて、どうでしょうか?

 私としては、裁判は自由で権利だが、松竹氏が平和や外交や防衛のジャーナリストなら、日本政府が進める自衛隊の米への指揮権移譲、現実に迫っている南西諸島の自衛隊軍拡の危機について論じたり、行動してもらいたいと思う。つづく。
 
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サクランボ--鳥に食われる

 今年もたくさん花が咲き、実がついて、摘果も行ったのに、クソ。
 ヒヨドリが来て、シギが来て、スズメがついばみ、カラスまで食いに来る。
 まだ熟れてもいないのに。
 網を買ってきたけど、木が高すぎてかけられない。
 今年は、サクランボ、諦めるしかない。
 トホホ。
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