ちょっと、間が空き過ぎましたが、岸本聡子さんの私がつかんだコモンと民主主義(晶文社)のつづきです。
5章に、「私の環境運動は気候変動から始まった」、がある。
岸本さんは、90年代前半の若い頃から気候活動家だった。
1997年にCOP3が京都が行われ、世界中から首脳らが集まり京都議定書が結ばれた。
この年に岸本さんは大学を卒業したが、就職活動もせずに、アシード「・ジャパンというNGO温暖化防止キャンペーンに没頭したという。
自分の生活のCO₂削減量を数値化して記録する運動を行い、政府への提言も作成した。全国各地の環境系サークルと連携し、各地に出かけ、勉強会や議論を重ねたようだ。
シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断して日本の会議場・京都に向かう気候列車も受け入れる活動を行った。韓国釜山からフェリーで神戸へ、そこから自転車で京都へ移動し、会場でキャンペーンを行った。
「地球をかっこよく冷やそう」
若者たちは、当時は航空機のCO₂排出はあまり問題になっていなかったようだが、飛行機による温室効果ガスの削減を訴えるため、数メートルの飛行機模型をつくり会場を練り歩いたりした。
韓国のメンバーは会議場前で、北極海氷が融けて苦境にある生物の象徴として、大型の氷を持ってきてペンギンの彫刻を作ったりした。
直接行動として、人間の鎖でガソリンスタンドを包囲する行動をした。封鎖行動はヨーロッパや韓国の有志にまかせ、日本人は周辺でスピーチをして。
幸い逮捕者は出ず、行動は写真入りで新聞に報道されたようだ。
私が気候問題に関心を持つ7~8年近くも前のこと、全く知らなかった。
こんな経歴を持つ岸本さん。
ヤワな人でない事は確かだ。経験も豊富、鍛えられている。