サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

大量廃棄社会④ 恵方巻

 「大量廃棄社会」の紹介の続きです。
 やがてクリスマス。コロナ禍の中で、ケーキ屋さんも売り上げが見込めず大変だろう。
 でも、必要なものの最小限の生産、そしてそのための多くない労働、今より多い余暇、家族と過ごす時間が増えた方がいい。資源を節約できる。それでも社会全体の生産で不足することはなく、公正な分配があれば人々は十分生きていける。問題は社会のシステムにあると思う。
 恵方巻の大量廃棄が問題になり、ワイドショーでも取り上げられた事がある。私も覚えている。
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f:id:adayasu:20201214143949j:plain:left 恵方巻のほかにも、クリスマスケーキなど、バレンタインチョコなど、季節もの、キャンペーンものは、販売目標を過大にし、従業員などに過大にノルマを押しつけながら、過剰生産しながら大量廃棄している。
 うちの子どもが高校生や学生だった頃、コンビニでアルバイトをしていた。この時期、クリスマスケーキの4~5個も買わされていた。安い学生バイトにノルマか?と、腹立たしい思いだったが、社会全体の風潮になっていた。年末年始の郵便局関係者の年賀ハガキなどの強制的な自爆買いも同様だ。
  なぜ、こんな事に?
 強者によって社会が強者に都合よく作られているから。
 根本には、資本主義の問題、現在社会の分業が大いに関係していると思う。
 物でも食べ物でも、自分で作る分の量は、自己完結的に自分でわかるので作りすぎはない。作りすぎるためのムダな労働時間もない。
 家族が食べるものをつくる場合もそうだろう。また小さな地域社会で売る場合も、消費の状況は分かるので大きなロスはないはず。もし食材を無駄にすれば、誰それさんが作った物を無駄にした、もったいない、と批判を受ける。私の子どもの頃はそうだった。
 現代社会では、売るための生産だから、余ることを覚悟で作り過ぎる。分業の分業で、誰が、どこで何を作って、誰が運んできたか全く分からないし、想像もしないからだ。
 ムダは人間社会だけの問題で収まればいいが、物質代謝--人間活動の自然への負荷は大きく膨らみ、やがて惑星規模の環境破壊となって元には戻らなくなる。人類は今、それに直面している。
 廃棄される食品の多くは外国由来で作られたものも多い。小麦や大豆、肉や乳製品は外国産の飼料だ。スーパーなどで、パッケージされた惣菜を忙しく買い込んで、忙しく料理して、慌ただしく食べることが多い。
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 むかしは食べ物のできる過程は、家族、地域社会のもので、「誰が--」は、みんなわかっていた。今は子どもが農業や食品生産にかかわる事が少なく、そんな子どもが大人になって子どもを育てているように思う。