熊本典道さん。こんな人もいたのか… 私、知りませんでした。
3人の裁判官で最も若かった熊本さんは、公判の途中から裁判に加わった。審理が進むにつれ、自白や証拠への疑問を感じた。しかし有罪と思った先輩の裁判官2人の多数決のため、書いていた無罪の判決文を破りすてて死刑の判決文を書くことになったようだ。
熊本さんは、「心にもない判決を書いた」と良心の呵責にさいなまれ、翌年には裁判官を辞めた。「私はやっていません」と訴えた袴田死刑囚のまなざしが忘れられられず、良心の呵責に苦しみ生活は乱れたようだ。
「裁判官の良心」という熊本さんのブログがあります。ぜひごらん下さい。
ブログから一部引用します。
「『自白は証拠の王である』と、昔から言われてきた。これは全世界共通である。そのため、どの国の捜査官も、まず自白の獲とくのため、血道をあげる。しかしそれに集中すると、自白を得るために色々な手段が用いられる。
日本の例をとってみると、戦前の有名な小林多喜二という小説家(蟹工船を書いた)に対する暴行は有名な出来事で、彼はそのために死んだ。戦後でも、捜査官が殴る蹴る等して、自白させることが、たびたびあって「そんな自白」を証拠として利用できるかという事件は数々報告されている。
まず、憲法を見ると、拷問による自白の獲とくが禁止され、刑事訴訟法も同様の規定を設けている。(日本国憲法38条2項、刑事訴訟法第319条第1項)」と書いています。
また別の日のブログには、
「私にとっては一審当時の審理の状況、特に私と彼の取調べにあたった2名の松本取調官と質疑応答をよく聞いていた彼の態度を思い出し、強く胸にせまる思いがした。
私は、刑事裁判官になってから先輩の教えに従って『法廷では人の態度を見る事』を第一として審理に望んできたが、袴田君の審理に関しても同様にそうした。
否定している彼の行動・動作については特に気をつけ、彼の目の動きについては神経質すぎる程、気を配っていた。そのため、メモに集中していた2人の裁判官からは、嫌味(メモを取らない手抜き)を言われる事もあった。
彼の方も、私が主任裁判官である事が分かっていた様で、私の法廷での一投足に全神経を集中させていた様子がはっきり読み取れていた。−中略−
裁判、特に刑事裁判では『人を見ながら裁く事』が基本である事は、時代が変わっても変わることがないと私は思っているが、今後、もし裁判員制度が取り入れられたとしても、この事だけは後輩達に残しておくべきであろう。そして『人を裁くことは人に裁かれる事』でもあるという事を」と書いておられる。
こういう人こそ、本当の裁判官なのではないでしょうか。
有罪を主張した2人の裁判官は、いまどうしているか知りません。拷問・取り調べをした警察官、及び検察官が、今どうしているか知りません。
私たちは、この世のいろんな立場のところに、両方の人間がいると、自覚すべきではないでしょうか。そして、自分はどうなのか? 勇気ある行動できるのか? と自問しながら…。