サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

原発を問う民衆法廷

 昨日の続き。朝日ジャーナルでの高橋哲哉氏の話を紹介したい。
 2月25日、東京で「原発を問う民衆法廷」が開かれた。被告人は東電から政府、原発関連の官僚など9人。
 起訴状に記された罪名及び罰状は「人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律」の各条項と業務上過失致死傷罪。
 「大戦後、『平和と人権に対する罪』という考えが生まれたように、『人間と自然の尊厳を破壊した罪』という新たな概念をつくってでも、この前代未聞の罪を裁いてほしい」と、訴えた人もいたようだ。これ大賛成!
 福島原発事故は、これほどの大事件なのに刑事事件としてひとつも立件されていないし、警察も検察も捜査に乗り出していない、と高橋氏。
 ならば「民衆法廷」。←ごらん下さい。動画もあり起訴状
 高橋氏は証人として出廷、「犠牲のシステム 福島・沖縄」が証拠として採用されたために証言した。
 事故の責任の第一は、「原子力ムラ」の構成員にあるが、許してきた住民にも責任があると主張。
 責任の質と程度を明確にする必要があり「だましたものの責任ダマサレタもの責任の違い」を明らかにする。「ダマサレタものはだましたものの責任追及の権利」があると主張する。そのとおり。
 日本の場合、歴史的に、この強者への責任追及が非常に弱いので過ちを繰り返す。しかもこの追及は、多くの場合一部のものに委ねられたかっこう。戦争責任も同じ。いかに社会的なものにしていくかが双方に問われる。
 第2は、「犠牲のシステム」。原発は、事故やウランの採掘から、発電、放射性物質の管理まで、被曝労働による生存権や幸福追求権を脅かし侵害する。だから法的責任が追及されるし、民主的手続きを踏んでいても人権侵害は罪に問われると、高橋氏は主張する。
 再稼動は許されない。きわめて残念なのは、この「民衆法廷」の報道がされていないこと