8・15日も過ぎて、戦争と平和についてのドラマやメディアの論調に、なにやら不足感を持っていた時、16日「朝日」『65年目の記憶』元日本兵-近藤一(90才)『中国での加害、語る使命』を読んで、改めて加害者と被害者の関係性について考えさせられた。
「20才、最初は、初年兵教育」「立ち木に縛られた中国人。最初は足が震えた。順番が来て走り出し、銃剣を突き出すと、豆腐にはしを差すようにすっと入った」「人間の体は柔らかいな」「罪悪感は消えていた。」「1年目の討伐作戦、ある村で見つけた中国人女性を古年兵らと輪姦」「いつもなら口封じのために殺すのに行軍に連れて行った子連れの女性」「休憩の時、古年兵が赤ん坊をがけ下に放り投げた。女性も後を追い身を投じた」「中国人は劣等な民族だと教え込まれ、神国日本の行軍兵士、殺人に抵抗のない人間に」
「沖縄戦にも動員され、『死ぬまで戦え』とたたきこまれ、最後はバンザイ突撃。つまづいて転び奇跡的に助かった」200人の中隊で生き残ったのは11人。戦争体験を語り始めたのは18年前、自分の発案で中国人を並べての試し撃ちをしたことを明かしたのは、更に7年たった79才。悩みぬいた上でのことだったろう。近藤さんは普通の青年だった。高齢になってからでも、語る人と語らない人に分かれる。残念でならない。どっちが救われるだろうか?
同連載の「朝日」14日付け『引き上げ堕胎にたちあう』―「不幸なご婦人方へ」と題したチラシが配られた。福岡県の筑紫野市に1946年から1年半、引き上げ中に強姦被害にあった堕胎施設があった。そこの元看護師(当時20才)の語りも胸が詰まる。
「絶対に、オギャーと言う声を母親に聞かせたらいけない」「手術は医薬品不足で麻酔なし」「看護婦さんーと叫ぶ声。赤ちゃんの頭が出そうだった。医師は休憩中でいない。とっさに首に手をかけた。髪の毛は赤く鼻は高かった」「駆けつけた医師はいつものようにメスを子の頭に突き刺した」「当時、辱めを受ける事は、死に値するような事だった」「望まれない子どもであっても命は命。ただ、当時は、女のひとたちに無事に故郷に帰ってもらうことに意識が集中していました」
罪のない住民を吹き飛ばした爆弾の製造に従事させられていたとしても、女性や子ども、弱者が常に被害の底辺にいる。語られない被害、更に語られず隠される加害。しかし更に、知らされていないのが、迫害され拷問を受け、命を落としながらも戦争に抵抗した人々。命は同じ、価値は問えない。でも生き方の意味は問える。
イラク、アフガン、沖縄、私たちは今、加害者?被害者?。私は、間違っても加害者にはなりたくない。加害・被害者もいやだ。