サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

戦場に立つということ

 昨日のつづきです。朝日」9/9付け「オピニオン」戦場に立つということ―から引用し紹介します
  ―本能に反する行為がから心が傷つくのではありませんか?
「敵を殺した直後には、任務を果たして生き残ったという陶酔感を感じるものです。次に罪悪感や嘔吐感がやってくる。最後に、人を殺したことを合理化し、受け入れる段階が訪れる。ここで失敗するとPTSDを発症しやすい」

 「国家は無垢で未経験の若者を訓練し、心理的に操作して戦場に送り出してきました。しかし、ベトナム戦争で大失敗をした。徴兵制によって戦場に送り込んだのは、まったく準備のできていない若者たりでした。彼らは帰国後、つばを吐かれ、人殺しと呼ばれた。未熟な青年が何の脅威でもない人を殺すよう強いられ、その任務で非難されたら、心に傷を負うのは当たり前です」
 PTSDにつながる3要素
 ①幼児期に健康に育ったか  ②戦闘体験の衝撃度の度合い  ③帰国後に十分なサポートを受けたか
 ―防衛のために戦う場合と、他国に出て戦う場合とでは、兵士の心理も違うと思うのですが?
 カナダの例で「成熟した志願兵なら、たとえ戦場体験が衝撃的なものであったとしても、帰還後に社会から称賛されたりすれば、さほど心の負担にはならない」
「もし日本が自衛隊を海外に送るなら、望んだもののみを送るべきだし、望まないものは名誉をもって抜ける選択肢が与えられるべきです」
 「我々もベトナム戦争で学んだことがあります。世論が支持しない戦争には兵士を送らないという原則です。-略-国家が国民に戦えを命じるとき、その戦争について世論が大きく分裂していないこと。もしも兵を送るなら彼らを全力で支援すること。これが最低限の条件だと言えるでしょう」
 なるほど。
 だけど、国民支持があれば他国に軍事介入しても良いとはならないだろう。自国中心と米国の優越感に基くものだ。歴史を見れば、米国は自国で地上戦を経験せず、戦争は他国でやってきた。その多くは侵略戦争です。一般米国民は、本当の戦争の悲惨さを知らない。
 西部開拓の時代の、白人の立場から野蛮なインディアンをみていた立場から変わっていない。強者の「正義」を振りまいているにすぎない。
 しかも兵士を守ると言うのはウソだ。実際には、戦争と指導者を守る。国民の支持を取り付けるメディア操作は日常だ。
 アトミックソルジャー、枯葉剤浴びた兵士、劣化ウラン弾障害など、訴訟して訴え、運動をしないかぎり補償もされない。
 PTSDにならない兵士を育成し、あるいはカウンセラーで治し、兵力の損失をおさえ、繰り返し戦場に送り込むための戦場心理学。
 他国兵士が侵略者してきた時、自国防衛に立ち、抵抗する兵士や住民の側の心理状態も殺さなければ殺される心理状態は、同じかもしれない。全く違う側面がある。
 米兵は、自分の家族や子どもは殺されない。だがベトナムイラク、アフガンでは、米兵によって罪のない家族や住民が殺される。枯葉剤劣化ウランで国土が汚され、生まれてくる子どもたちがどんなに悲惨で、謝罪もしないし償いもしない。
 戦場だれの国か?、誰の土地か?が決定的だ。戦争を支える民主主義、誘導する産軍複合体。
 今の非対称の戦争は、究極の非対称に進む。ロボット兵士・兵器に殺戮をさせる。PTSDや引き金を引く躊躇の心配はしないですむ。

マイケル・サンデル『兵士たちのジレンマ』から 局面の矛盾は、本質を隠す。