映画作家・想田和弘著の岩波ブックレットは、私が日頃、知りたいと思っていることに、ある種、答えてくれる内容だった。
日本人の美徳とされてきた(?)はずの、「強気を挫き、弱きを助ける」が最近は、「強気を助け、弱きをいじめる」風潮に変わってきたような気がするが、それは何故なのか?という事。
日本人は民主主義を捨てたがっているのか? 無気力・無関心の中で進む「熱狂なきファシズム」のタイトルがついている。
日本の政治体制は、「今まで民主主義だったからといって、これからもそうであり続けるとは限らないのではないか」と想田さんは言う。私もそんな感じがする。良くないことの規制事実が積み重なっていく風潮。
想田氏は、言葉の支配により、思考の支配が進み、行動への支配へと進む例を、橋下元大阪市長の支持者が、橋下氏と同じ言葉を唱和する例で説明する。そのことで「感情の支配」「感情統治」がされており、「感情を統治する民主主義」を橋下氏はめざしていると。
それが可能なのは、その言葉がある種のリアリティを持って人々の心に響き感情を動かしたからと。
日本人は民主主義を捨てたがっているのか? (岩波ブックレット)
- 作者: 想田和弘
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/11/07
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「敗戦直後、日本国憲法という一種の「型」として与えられた民主主義は、問題はあるにせよ、いままである程度、有効に機能してきた。日本人は良くも悪くも「型」から入るのは得意ですから、いままではそれで良かったかもしれません。しかしそれは型なので、下手をすると「外見はよく似ているけれども全く本質の異なる型」に簡単にすり替えられてしまいます。自民党の改憲案などは、まさにその典型でしょう」と。
もうひとつ。政治家は政治サービスの提供者で、主権者は投票と税金を対価にしたその消費者であると、政治家も主権者もイメージしている。「消費者民主主義」とも言うべき病が日本の民主主義を蝕みつつあるのではないか、とも。その事により能動的な主権者でなく、受身者となると。
逆に、私たちの運動の弱さも、宣伝物、対話でも、リアリティと感じられる言葉を探し出せていないことからくるのかもしれない。