日本の防衛大臣が辞めるそうです。繰り返しの虚偽答弁、国の守るにはどうも、似つかわしくない方でした。
例えば、以下のような危機的な状況下の判断を迫られる場合、この方はどんな判断を下したでしょうか?
で、今日の「毎日」1面です。
「核使用を検討」 実に、恐ろしい事です。
2002年、インドと国会襲撃テロ事件で緊張したパキスタンとインド。
国境付近に双方、計100万人の陸海空軍を配備して1年近く対峙した。
ムシャラフ元大統領は当時、インドへの核兵器使用を検討したと「毎日」のインタビューに答えた。
以下ムシャラフ元パキスタン大統領インタビューの「引用」です。
「−−インドとパキスタンの独立から70年たっても印パの対立は依然続いている。核戦争の危機は身近に迫っているようだが、どう考えるか。
印パとも核保有国だが、パキスタンは小さな国で、通常戦力は、インドの攻撃をとめるのに十分だ。核使用に至る一線を越えることはない。だが、究極的に安全や統合を保障するのは、核兵器だ。
−−1999年に印パが戦闘したカルギル紛争で、インドは実効支配線を越えなかった。これは核抑止が働いたからか。
いや、働いていない。カルギルは地域的な衝突だったから、核の使用は検討されなかった。核使用が選択肢に入ったのは、2001年12月のインド国会襲撃後、緊張が高まった02年からだ。印パ双方が国境に軍を動かし、陸海空軍が国境で対峙(たいじ)した。あのときは核使用の一線を越える可能性があった。
−−もしインドが一線を越えれば、パキスタンは核使用の準備があったのか。
難しい質問だ。私は当時、大統領だった。何日も眠れない夜が続いた。もし何か起きたら、どうやって核を使うか。使えるのか。数百万人を殺すかもしれない。とても大きな負担が私の肩にかかっていた。両国は、核弾頭をミサイルに搭載していなかった。装弾して発射姿勢に入るには、1〜2日かかっただろう。(核弾頭の装てんの指示は)我々はしなかった。カルギル紛争でも、他のどんな時でも、我々はそうしなかったし、インドもそこまではしていなかったはずだ。もしやれば、反撃が予想されたからだ。
核抑止は必要
−−昨年11月には当時のインド国防相が核先制不使用の見直しに言及した。核の脅威の高まりをどう見るか。
これはとても不幸なことだ。98年の核実験後、インドはパキスタンに核を使わせるまで追い詰めないようにする戦略を取り、軍事ゲームは限られていた。しかし今は、前国防相が先制不使用を見直す発言をし、非常に危険な状況だ。核を使うと言っているに等しい。限定的な攻撃といっても、核を一つ使えば、(報復で)10個落とされる。最終的には最大限の破壊を招く。終わりがない。狂気だ。
−−パキスタンは戦術核を開発している。また今年は潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の実験を成功させた。インドへの抑止になると考えるのか。
そうだ。すべての軍事行動について、我々は責任を持っている。核先制使用は、弱い国の論理として成り立つ。我々の軍事力は比較的小さいが、大きなダメージを与えることはできる。しかし、戦争は答えにならないことは分かっている。多くの犠牲を払いすぎる。
アフガン問題でパキスタンは悪くない
−−アフガンのテロ組織はパキスタンにも侵入している。国際テロ組織アルカイダ、アフガンの旧支配組織タリバン、さらに過激派組織「イスラム国」(IS)も加わっている。テロに対処できるか。
アフガンについて言えば、問題はタリバンとアルカイダとISだ。アフガンはパキスタンからの越境テロを責めるが、これは間違いだ。インドが直接アフガンに関わっており、この紛争は我々だけの問題ではない。もし米国やアフガンの国際部隊が撤退を決めれば、印パの代理戦争がアフガンで起きるだろう。これは避けなくてはならない。だが、状況は悪い。アフガンはインドとともにゲームをしているからだ。
−−パキスタン軍はアフガンのタリバンに影響力を持つと言われる。戦争回避のために何ができるのか。
私が99年に政権を握ってから、タリバンを認め、大使館も開設した。だが、タリバン化は支持しなかった。例えば、(01年にタリバンが破壊した)バーミヤンの大仏破壊を避けるために、宗教指導者らの使者を送った。日本やタイの首相、スリランカ大統領も「大仏を助けてくれ」と電話してきた。それに対し、私は「世界はタリバンを認めるべきだ」と言った。大使館を開設しろと。そして穏健化させようと。もし80の大使館があり、大仏を破壊するならすべて引き揚げると言えば、大仏は破壊されなかっただろう。私の戦略は賢かったが、実行したのはパキスタンだけだった。
核の装置は北朝鮮とイランへ
−−パキスタンの「核開発の父」と呼ばれるカーン博士が闇市場で北朝鮮やイランに核関連機器を流していたが、彼は過激派と関係はなかったのか。
関係があったとは思わない。彼は金もうけをしようとしていた。彼はパキスタンの英雄だったが、核爆弾の父ではない。彼はウラン濃縮を知っていたが、爆弾を作るのはもっと別の話だ。
−−北朝鮮やイラン、リビア以外に彼のネットワークに関心を持った国はないのか。
彼は私に隠してリビアやスーダンを訪問したため、疑念を抱いた。核開発の関連装置はイラン、北朝鮮に流れた。それ以外、私は知らない。
−−スーダンは核物質や核関連機器を入手したのか。
200%の確信はないが、そうは思わない。
−−印パのカシミール紛争については、06年にパキスタンから両軍の撤退などを提案し、インドも受けいれるところだったという。まだ可能性はあるのか。
当時は提案に対し、インドも誠実だった。だから前進した。しかし(08年に起きたパキスタンのイスラム過激派によるインド・ムンバイ同時テロで)機会を失ったのは謝らなければいけない。我々は歴史を作る機会を逃した。
−−分離独立から70年、何が一番の課題だったか。
パキスタンは、困難な旅路を進んできた。ずっと我々は脅威に直面している。イスラエルと似ている。国の統合を守ることが目的になっている。大きな隣国インドの脅威があるからだ。今日でさえ、彼らは我々の独立を許していない。だから我々は国を守らなければならない。このしがらみの中で、我々は経済発展しなくてはならないし、法と秩序を維持しなくてはならないし、テロと戦わなくてはならない。安全保障で妥協はできない。」(引用終わり。良い記事でした)
恐ろしい事だ。核兵器さえなければ、双方とも破滅の懸念を心配する必要はないのに。
ぜひ、双方の政府、軍指導者は、日本の広島・長崎に来て、資料館に行き、ヒバクシャの話を聞いてほしい。通常兵器により対立さえ虚しさを感じるだろう。