昨日につづき、耳目をふさぎたい暗い話です。(写真は1年前)
1962年のキューバ危機の際、日本・沖縄の米軍はどんな対応をしたのか?
元米軍兵士のポール・カーペンターさんが証言する。(「朝日」2/12記事・岡田玄記者から紹介・引用)
沖縄・米軍嘉手納基地勤務のカーペンターさんは、韓国に輸送機で、核物質が入った金属性容器を運ぶために派遣された。
当時の核爆弾は、核物質プルトニュウムが入った部分を爆弾本体にはめ込み式。韓国の群山には戦闘機が待っており、いざとなったら、核物質を装着して、ソ連や中国を攻撃するためだ。 キューバ危機による核戦争は、ソ連のキューバからのミサイル撤去で回避された。
もしものことがあれば、沖縄など核を持つ米軍基地は、ソ連の核ミサイル攻撃を受けることになったはずだ。恐ろしい。
カーペンターさんは、核爆弾を積んだ戦闘機が後退し、燃料パイプに乗り上げるのを見たと言う。炎上しなかったから良かったものの、「一般の整備兵は搭載されている爆弾が何かを知らなかった」を言う。
今でも日本の在日米軍は、核攻撃の前線基地となっている。
核兵器は、こっちに向ってくるミサイルも、こっちから相手に向かうミサイルにも、私は同じく反対する。