「朝日」は、誤報にともない、「産経」「読売」、週刊誌他、多くから批判を受けています。自民党政府のみなさんまで、批判する発言をつづけています。
「朝日」は、2人の吉田証言をめぐる報道の誤りを認め、記事を取り消し、謝罪しました。
社長の謝罪会見を報道した9月12日の1面は、新聞としては、非常につらい1面となりました。
事の重大性からみれば批判されてしかるべきでしょうし、今や記者さんから販売店員さんまで、非常につらい思いをしているでしょう。
こんな時は私、なんか同情したくなるんですね。
「朝日」は購読の予定期間がきたので、そろそろやめる時期だったのですが、なんか、反省はしてもらいながらも、頑張ってほしい気もしまして、もう少し読み続けてみることにします。
同時に今回の騒動は、もっと大きく俯瞰してみることが大事と思います。
それは「朝日」報じた、吉田調書そのものが示す福島原発事故の重大性です。
そのことの議論を通じて、再稼働含め、原発の是非を論じることこそ重要だと思う。
それは「朝日」批判を執拗に続ける、原発再稼働賛成メディアが避けたい議論かもしれない。
吉田調書は、今回の騒動が起きるまで、なぜ発表されなかったのか?。重大事故に関わり、事故解明に極めて貴重な証言なのにです。これこそ政府は、批判されてしかるべきです。
政府が吉田調書を早く発表していれば、各紙が報道し、議論できたはずですし、朝日が同じ内容で報道したらその時点で誤りがあきらかになったはずです。
津波の危険性も、全電源喪失も指摘されていたのに、「原発は安全」といいながら動かし、東電の現場も本社も官邸も右往左往するばかりで原発事故をコントロールできなかった。
今回、偶然レベルで現状にとどまったが、場合によっては大量の被爆で多数の人が亡くなったり、膨大な人が発病する可能性があった。
第一原発が4号炉すべて、使用済み核燃料まで融けだしたら、全ての職員は退避しなければならず、第二原発さえ融けだし制御不能になるところだった。
東日本に、人がすめなくなる事態さえありえた。現在の福島県の避難区域が関東以北に広がり、大企業本社・官庁がある首都移転さえ余儀なくされる可能性だってあった。
世界中に膨大な放射能を撒き散らし、取り返しのつかないことになることだってありえた。
吉田調書は、そんな緊迫感をつたえる内容だ。朝日の記事は、誤りは誤りで批判されるべきだが、より重大なのは、吉田調書が物語る原発の不可逆的な危険性についてだ。
再稼動・原発推進勢力が困る議論が広がることを隠しつづけた。今やこれこそ、検証、問題視されるべきである。
「朝日」は、反省すべきは反省しながらも、萎縮することなく、自信を持って「朝日」らしさを取り戻してほしい。