[ 「季論21」2012秋号(写真)に橋下・維新特集が載ってまして、その中の望田幸男同志社大名誉教授の文がおもしろかったので紹介します。
「『ハシズム』とナチズムの間に立って」が表題です。
3つの視点を提起、その①は、「右からの現状打破」です。
持田氏は、ドイツの「ワイマール(憲法)期から、ナチス期への移行は、「食えない経済と慢性的政局不安のもとで、空洞化しつつある民主政治」から⇒「食える経済と決断の独裁」への期待であり、実際のヒトラー独裁はナチス後期だったことを示して、最初から中盤のナチスが「右からの現状打破」だったと説明する。
橋下・維新の場合も、「日本の現状が貧困格差の深化にもかかわらず、政治の適切なリーダーシップを欠く、という時代の閉塞的状況に対する「右からの現状打破」として立ち現れる」と指摘する。
先日、大阪で平和運動をやっている人から、「学生に橋下支持をひろがっている」と聞いた。
確かに、正社員になれず希望が持てない中で、何でもいいから、とにかく変えてほしいとの渇望だけが強まっている感じがする。
声が大きく、強い言葉、身振り手振りが激しいほど、信じやすく、依存しやすいのだろう。
自分に良いことになるのか?悪い事になるのか?を、キチンと確かめる本来もっている理性を発揮する前に。
ヒトラーは、公共事業と軍で人びとに職を与えたが、もっか小泉「構造改革」も、橋下維新も、若者切捨てなので、遅かれ早かれ事態を理解するとは思う。しかし、そのために、
いわゆる「左翼」(左右に関係なく真の現状打破)からすると、その声が、イメージが、現状を打破するほどの力強さを示し得ていないのが大きな課題なのだとも思う。どうすれば?
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