曖昧な弱者の時代(伊藤昌亮著:岩波新書)のつづきです。
著者は、石丸現象で起こった彼らの「新自由主義の内面化」として捉えられるという。
「低成長の時代しか知らず、社会全体が成長していくというイメージを持ちにくい彼らには、その一員であるだけでは成長できないという感覚があるのではないだろうか。
つまり社会の成長戦略は当てにならず、それに乗ってもジリ貧になるばかりで、自己の成長戦略が別途必要となる」
そのため「社会のよき一員」になるよりも「よき自分」になることが重視され、自己啓発的な意識が高まる。
一方で社会なるものへの関心が薄らいで、社会は当てにならないという感覚になっていく。
社会保障は当てにならないのに保険料など負担は増すばかりだ。
しかもその受益者は高齢者だとして「老害批判」として高齢者や弱者に不満がつのる。
かくして世代間対立が煽られ、真の対決構図は見えなくなっている。
でもこれは、自然現象ではない。利益のかかった誰かの操作によるものだ。
非正規雇用が背景だが、同じ境遇と社会の雰囲気に押し込められた若者世代は今、中年になり、前期高齢者の入口にいる。
やがて敵視していた高齢世代に、若いつもりだった自分も仲間入りし、さらに若い世代から敵視されることに気づく。
ほくそ笑んでいるんは誰だろうか?

忙しく閉塞感の中では、梅雨明けは想像しにくい‥