曖昧な弱者の時代(伊藤昌亮著:岩波新書)を読んでいる。
高市首相の支持がなぜ高いのか?
なるほど分析で面白い。
そこには「弱者たたき」「弱者争い」の現象を見て取る。
本来は、弱者が強者に歯向かうべきなのに。
安部元総理を銃撃して殺害した山上徹也の例をあげている。
彼の1,147件のツイートの言葉の解析から導き出した結論が説得的だ。
山上の父は「京大出」「父の兄は弁護士」「母は大阪市大卒」「母方の叔母は医者」で、彼自身も優秀で高学歴を目指していた。
ところが母親が統一教会にはまり、高額献金で家庭が崩壊させられ人生が狂わされてしまった。
自分自身の学歴は断念させられたが、知性は持っているつもりの彼なので、「自分の頭で考え自分の言葉で喋れる」との自負はあった。
逆に学歴は持っていても知性を持たない人間、「教科書通りのお題目は唱えられるが自分の頭で考えた事がない奴」を軽蔑する。
それは「オールド左翼の教科書通り」の発言に終始しているリベラル派にも向けられる。
彼は「老人が大量に年金・医療費で国費の大半を食い潰し」「今の福祉体制が続く訳がない」「年金も医療保険も公がやる限り自由の侵害に他ならない」とつぶやいている。
さらに、「年金徴収の個宅訪問に年金受給者としか思えないジジイが来たので一瞬殴ろうかと思った」とも書いている。
ここには世代間格差に基づく不公平感から「大きな政府」を否定し、「小さな政府」を望ましいと考えるネオリベ的考えにとらわれている。
自分の困難の原因は、弱者にあるとする思考が、蔓延させられている深刻な社会状況がうかがえる。
「小さな政府」「大きな政府」論も、新自由主義の隠れた強者が振りまいた宣伝だ。
世代間対立論もそうだし、外国人が悪いもそうだ。
それほど今の社会は、事実も真実が見つけにくい。
自分で見つけたはずなのに、操作された情報ばかりが目に付く。
これにどう抗えばいいのか?