日中国交正常化のつづきです。
この問題であまり考慮していなかったのが台湾側の思いや立場だ。
国共戦争に敗れ台湾に流れてきた蒋介石政権ではあったが、毛沢東政権と同様、自分たちがひとつの中国の正当な政府と主張していた。
そこに、田中首相が毛沢東政権と国交を回復するというので、蒋介石政権とは手を切るという話になる。
台湾政府からすればとんでもない事だ。しかも日華平和条約を結び、台湾は日本への戦後賠償も放棄しているのに裏切り行為となる。
台湾への裏切り行為を先に始めたのは、ほかでもないアメリカだ。でないと安保体制化の日本は動けない。
ニクソンが1971年に突然、上海を訪れ、毛沢東と会談をし、上海コミュニケを発表したことが始まりだ。これを受けて田中首相が独自に決断して国交正常化が始まった。
米国は、冷戦構造の中で台湾政府を擁護し、米軍基地もおいて北京政府を敵対視していた。
(写真:1960年6月に台湾を訪問したアメリカのアイゼンハワー大統領と台湾の蔣介石総統)
ニクソンにとって米中関係改善は、泥沼のベトナム戦争の出口を中国に見つけ、中国にとっては、対立していたソ連をけん制できた。
田中首相から、台湾交渉の嫌な仕事を受けさせられたのは、自民党内での親台湾派の椎名悦三郎副総裁だった。
椎名は、田中首相の台湾断交の親書を携えて、大変なな目にあう覚悟で台湾を訪れ、親書を渡す。
外交とは、それぞれの思惑が交雑し、それぞれにとって有利な解釈が生まれ、それでも一定の合意に達する絶妙な人間模様であり、それぞれの国民に多大な影響を与える。