「世界滅亡マシン」(岩波:ダニエル・エルズバーク著)のつづきです。
残虐な都市爆撃は、ヒトラーにロンドンの爆撃も行われ、敗戦を前にしたドイツの各都市にもおよび多大な民間人の犠牲者をうみだした。
日本への都市爆撃は、ルーズベルトも認め、カーチス・ルメイ少将が指揮したが、その方針も殺戮の実態も米国市民には知らされなかった。
都市爆撃を禁止したハズなのに残虐な行為に及んだのは、「正しい戦争」として国民に説明されていったが、これが核戦争を辞さない計画へと発展する。
第一次大戦までの戦争での死亡者はほとんど軍人で、世界で6500万人の部隊のうち、900万人が命を落とした。
700ポンドの爆弾は、100メートル離れていれば、標的に影響を与えることはないそうだ。
しかも爆撃機から落とした爆弾は、軍事施設や工場など狙った標的から外れることが多く、効率が悪かった。
民間人を殺害して、戦争を勝利に導く。
この考えで、さらに効果を求めて進められたのが火災を引き起こす焼夷弾攻撃だ。
イギリス軍は、ドイツの主要都市に焼夷弾爆撃を行い50万人以上のドイツ民間人を殺害した。
それは都市部でも労働者住宅が密集した地域を選んだ。
密集した住宅は火が速く燃え広がり、火災旋風を発生させ、強い上昇気流を都市部を焼き尽くした。
(写真:焼夷弾ウィキ)