デジタル・デモクラシーのつづきです。
分業の発達は、生産力の向上をすすめた半面、弊害も少なくない。
生産の世界的な分業で、どこで、誰によって、どのように作られた製品か、経過を知らないことは、よいことなのか?
例えば、フィリピンの女性アレッサは、コンテンツ・モデレーターの仕事をしている。
会社は自国フィリピンだが依頼は、登録した米国のコレタスク社からオンラインでくる。
自宅のパソコンで膨大な量の画像1枚1枚に、例えば歩行者とヤシの木を区別しラベルをつける。文章の文法や表現の誤りを修正するなどの仕事だ。
だがネット社会は、画像や動画、文字、なんでもあれの世界だ。
駅や通路や商店街に暴力や性描写や残虐な写真や映像は見当たらない。
せいぜい風俗店の違法張り紙程度で、それを見つけたら警察や自治体、社会が動いて削除していく。
ところがネット社会では、これらの膨大な画像をチェックし、見つけて削除している労働者がいる。
しかしその労働実態は、ほとんど知られていない。
ユーチューブにもXにもFBにも倫理基準があり「問題コンテンツ」はソフトやAIで削除される。
しかしそれでも対応的できない判断を、人に労働としてさせている。
アレッサは、「最初の一時間で気分が悪くなり、その日は何もできなかった。でも慣れというのは怖いもので、翌日は2時間、その翌日は4時間、というふうにできるようになった。けれど明らかに気分が不安定になったし、最悪なのは夜寝る時。目を閉じると昼間見た映像がよみがえってくる。1週間でこの仕事はやらないと決めた」
これらの仕事は、アルゴリズムによって管理されている。
時間内にこなせたか? 誤りがないか? などを評価し、報酬の未払い、アカウント停止もアルゴリズムが行い、異議申し立てや交渉ができない。
労働者としての「雇用」ではなく、「個人事業主」とされ、本来の責任を持つべき雇用の責任を企業が果たさない問題がある。
AIによって働く人の労働が奪われ仕事なくす心配がされている。
一方で、AIが新しい仕事を生み出している。
問題は、「その仕事は細切れで低賃金で労働者として認識されることがなく、社会から見えない空間へと押し込められていることだ」と著者の内田さん。
私もこんなことは知らなかった。