黒木レンコさんが亡くなったと、連絡が入った。
おそらく102才だったと思う。
施設に入っておられ、長寿を全うされた。
過去ブログに書いているが、私が19歳になってすぐ、共産党の専従になったとき、黒木さんの近くにアパートを借りていて、洗濯屋ら何やらお世話になった。母親のような人だった。(写真は2017年、黒木さん95才の時)
自宅が「赤旗」日曜版のポストになっており、毎週、「赤旗」を届けると、食べ物をくれたり、体の事を心配してくれたり、とても優しい人だった。
黒木さんの父親は、戦前、民主教育に携わった田代先生で、黒木さんが小さい子に阿蘇で弾圧を受けていた。
戦後は、中央街で田代豆腐店を営んでいた共産党の活動家だった。ここも「赤旗」のポストがあり、夜明け前の作業場に日刊紙を届けていた。
実は、黒木さんの夫さんは早くに亡くなったが、生前、レッド・パージの弾圧を受け職場を追われた。そのあとの50年分裂問題の頃、山村工作隊の一員として、小国町での活動の話を聞いたことがある。いろいろ話はあったが実際には暴力的なことはせず、要求運動をしたと聞いた。
時が経つのは早い。私たちは、田代さんや黒木さんたちの運動を受けついていかなければならない。
adayasu.hatenablog.com
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黒木さん、安らかに。