レジリエンスの時代のつづきです。
AIが最大の目標とするのは、データを蓄積して解析ツールを使い、未来がはっきりする前にその未来を知ること、予知能力を発揮する事のようです。
これを使って人類の未来を予測し、現状に必要な修正を加え、急いで気候危機を回避し、持続可能な社会へと進んでもらいたいものだ。だが愚かにもそうはなっていない。
商業分野で、マーケティングと広告、解析ツールとアルゴリズムを使って、過去の関心や購入履歴から、販売される製品サービスに最も合致している購買層を特定し、その層に届くようにしている。今では、ネットの履歴によりマイクロターゲッティングとして、個々人に広告が届く。
つまりデータとアルゴリズムが資本家の私的所有なので、利潤追求のために使われ、社会のため、自然の回復のためには使われない。
ネットは、実に便利だ。
だが、便利にが弊害が伴うと著者は指摘する。
便利な反面、アルゴリズムの問題点は、
①プログラマーとデータセットのバイアスを反映する。
②アルゴリズムの分類は、分断を深める。確かに、社会は分裂しつつある。
③フィルターバブル、サイロ化状態により、より広範な考えや信頼できる情報にさらされる機会を制限されたり、予想外の発見や出会いの機会を奪う。
つまり人々は、主体性を喪失しそうになる。
「アルゴリズムは、何よりもまず、効率と収益性を最適化するために書かれ、データのモデリングと解析が社会に与える影響については、ほとんど考慮しない」
「アルゴリズムは、正確さや公正さよりも効率を重視する」
なるほと。
アルゴリズムは、データも、私的企業所有し、利潤追求の道具となっている。
この生産手段を社会全体の構成員のために社会的所有にすればいいと思う。
どうやって? それはわからない。
でも社会が望めばそれは可能だ。水道もゴミ収集も医療も警察も所有ではない。
そもそも、あれこれの技術は、誰それが、一からすべて考えて生み出したものではない。
言葉、文字、認識、記録、途方もない認識の蓄積の土台の上に、新しく築かれたものに過ぎない。であれば、時を経て社会全体のものになることこそ、本来の在り方ではないか。人類社会の大半は、そうだった。