著者の大治朋子氏がエルサレム特派員時代について(P64)書いている。
パレスチナ自治区の学生がユダヤ教指導者家族4人を殺傷させた事件のナラティブ。容疑者は、大学の同級生で親友が2週間前にイスラエル軍との衝突で死亡した事がきっかけのようだ。彼はFBに思いを書き連ね、それがナラティブとなって事件(テロ)が続発。
イスラエル政府は、これらの事態についてモサドに調査分析をさせた。著者はその担当者から取材している。
モサドの分析は書いてあるが、心理科学と情報技術で人々を支配し、屈服させ、破壊するための分析には、人権感覚で対処できなければ、支配側ナラティブが染み込むと思う。
著者のナラティブには、カルト教、テロリストなどは出てくるが、無差別爆撃者のナラティブは出てこない。
ベトナムでの北爆、イラク戦争の爆撃、現在のガザの空爆、その空爆実行者のナラティブは出されない。
無差別に市民や子どもたちを殺害しつづけている側、戦争遂行の側の、強者の側のナラティブを示すことの方が、問題解決のカギだと思う。
現在、毎日毎日、爆撃で十人、数十人と子ども達が爆撃で、泣き叫び、血にまみれ、ガレキに埋もれている映像を世界中が見ている。
それでも、なぜ殺戮は行われ、イスラエル軍パイロット、国民、米国、世界は止められないのか?肯定しているナラティブって何のか?
写真はイスラエルの少女がちが砲弾にメッセージを書き込むシーンだ。
同世代の少女や子ども達もバラバラに吹き飛ばす砲弾だ。どんなナラティブだ?