今週の「寅と翼」で、日本は戦争に負け、新しい憲法のもとで社会の変化が起こる。
カルト的天皇制軍国主義国家から一転、民主主義と人権の国家へ。
その象徴として、憲法が変わり法も、制度も社会も、国民の考え方も変わっていく。
だが新憲法の施行は戦争が終わってからわずか2年後。
戦後の混乱、飢えや生活苦の中で、なったばかりだったが主権者を自覚し、国民的な議論が十分できたのだろうか?
米占領下で致し方ない面があっただろうが、それを自覚しつつ、戦争を総括し、新しい国、社会づくりに生かす思いは育まれただろうか?
新しい憲法は、優れた条文が書かれている。しかし戦後、憲法の産後の肥立ちが悪かったのだろう。今、この憲法を十分に使いこなせていない。様々な努力をして育もうとしている一方で、憲法は死につつある。
朝のテレビで、有事の際に沖縄県から九州各県に避難する計画を進めるニュースがあった。「熊日」記事は、九州地方知事会議での政府の方針をただ伝えるだけ。
熊本は、宮古島の一部と多良間村の人々を受け入れるとのこと。
普通の、日常のニュースの一コマのようだが、意味が分かって言っているのか?
南西諸島・沖縄で”戦争が始まる事を想定しているのだぞ”と言いたい。ウクライナ戦争での住民避難と同じと理解しているのか?
これは先の戦争末期の学童疎開と同じことを、今、南西諸島の住民に行わせ、九州で受け入れようとするものだ。
台湾めぐる米中戦争に、米軍指揮下で自衛隊が参戦し、南西諸島が戦場になることを想定している。九州、熊本だって安全地帯ではない。相手国の正当な攻撃の軍事目標である自衛隊基地・司令部がある。
―ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」の一文に、
「敗北を抱しめならが、日本の民衆が『上からの革命』に力強く呼応したとき、改革はすでに腐食し始めていた。身を寄せる天皇をかたく擁護し、憲法を骨抜きにし、戦後民主改革の巻き戻しに道をつけて、占領軍は去った…」がある。
国民は、憲法を制定する時に主権者ではなかった。天皇制軍部・指導部は、戦争して負け、崩壊していた。
GHQの占領下にあって、民主主義は勝ち取られたのではなく、上から与えられた。
だが戦前でも、激しい弾圧に抗しながら現在の憲法が掲げる基本的な内容を掲げて闘った人たちがいた。
軍国主義一色ではなく、その下からの運動があり、さまざまな運動も含め、新憲法の議論が行われたならもう少し違った歩みがあったと思う。
冷戦を前にして権力は、天皇制軍国主義から、民主主義の皮をかぶる戦争に勝った米国に握られた。
朝鮮戦争を前にして米国は、これら下からの運動を弾圧していった。戦前も戦後も弾圧は成功した。
悲惨な内外の犠牲者を生み出した戦争の重大な誤りを反省・総括できずにいる。それを政府指導者にそれを徹底できないない主権者・国民に、新しい戦争が堂々と切迫する事態を認識し、拒むことができるだろうか。
戦前は天皇制・軍部が戦争を 命令したが、現在は米国が判断し戦争を行う。統帥権は、米軍へと統合され、開戦も停戦も和平も米国しだいになる。主要メディアはそれを飾り付けで国民に受け入れさせる。
制定権者である主権者・国民が憲法をつくり、時に統治者に指示し、託しているのに。日本国憲法より、米日安保体制が優先し、「星条旗国体」をいただいている。
たた、戦後から現在に至るまで、支配層に包摂され内面化されることを拒み、強く抵抗している運動、政党、人々がいる。