サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

ショックドクトリン ⑩スリランカ 第2の津波

f:id:adayasu:20041230075929j:plain:w350:right ショック・ドクトリンの続きです。
 参事便乗型資本主義には、自然災害も含まれる。
 インド太平洋大津波は、インド洋の各地の沿岸住民を襲った。
 ナオミ・クラインは、被害を受けたスリランカとモリディブを、参事に便乗した第二の津波=外国資本が襲い、被害を拡大させた実態を批判している。
ja.wikipedia.org
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 スリランカは、長い内戦を停戦し、平和の時期に入っていた。
 政府が進めようとしていた過大なリゾート開発や民営化路線である「スリランカ再生計画(①土地規制の廃止 ②労働法の改悪 ③インフラ整備」も、アジア通貨危機などを経て、国民の反発が起き、選挙でも左派が勝ち、断念させられていた。(写真:ウィキペディアより)
 スリランカの海岸は、美しい砂浜があり、昔からそこに暮らす漁民の姿があった。
 漁民が獲った魚がサーファーらが宿泊するホテルでふるまわれる地域経済もあったが、観光資本による高級リゾートホテルの開発拡大は、住民とのトラブルにもなっていた。
 そこに巨大な津波が襲い、漁村をなぎ倒してしまった。
 住民が遺体を埋葬し、飲み水や食料の確保に追われ、住所の再建も進まず路頭に迷っているさなか、新自由主義路線が強硬された。
 津波が収束に向かい、漁師たちが住まいのあった海岸に戻ってみると、そこには警官が立ちふさがり、家を建て直すことはできない申し渡した。
 これは津波からのバッファゾーン(浸水の緩衝地帯)として、海岸に小屋を建てることは禁止、すべての建造物は満潮線から200メートル以上内陸に建てることとされた。まるで産業革命時の「イギリスの土地の囲い込み」政策だ。
 スリランカでは35000人が津波で亡くなり、100万人ちかくが立ち退きを余儀なくされ、多くの漁民は内陸部の仮避難所へと移動させられた。
 もちろんこの政策の目的であるリゾートホテルなど、観光施設の建設(改修)は、バッファゾーンの例外とされた。
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 反民営化路線を公約して当選したチャンドリカ・クマトゥンガ大統領は、津波発生の4日後、水道事業の民営化の法律を可決し、ガソリン価格を引き上げ、国営電力会社を分割して民間に売却する方向に動き出した。
 もちろん参事が起こったら、すかさず動き出す、融資と引き合えの掠奪計画が資本側にあった。
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 モルディブも、多数の島をバッファゾーンとし、住民を追い出し、島ごとリゾート資本に売り渡した。
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 欧米を中心とした金持ちがこれらのリゾートで贅沢の限りをつくしている。
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 参事に便乗して、困っている人を踏み台にして欲望の限りをつくす人間いる一方で、民族や宗教の壁を乗り越える人々もいる。
イスラム教徒は遺体を埋葬するためにヒンズー教徒のタミル人に助けを求め、タミル人はイスラム教徒に食料や水を分けてもらい、内陸に住む人たちは家ごとに毎週2個、弁当の包みを届けてくれた。貧しい彼らにとっては大変なことだったけど、それは見返りを期待してのことじゃない。ただ、困っている隣人を助けなくては、兄弟や姉妹、娘や母親たちを助けなくては、という純粋な思いからだったんです」と被災漁民。