朝鮮人の強制連行・労働につづいて、42年東条内閣は、「華人労務者移入に関する件」を閣議決定し、3万8935人の中国人を連行し、鉱山やダム建設など危険な現場で強制労働をさせた。その間、6830人が犠牲となった。
その現場の一つ986人動員された鹿島建設の秋田県大館市・花岡鉱山がある。
「花岡事件」で有名だ。ろくな食事もないまま過酷な労働で倒れる人が後をたたず、ついに45年6月に「蜂起」する。たちまち憲兵隊の弾圧を受け、厳しい拷問のすえ、100人以上が犠牲になった。連行されたうち半数以上の総計418人が死亡している。
敗戦後、この異常な事件はBC級戦犯で裁かれ、鹿島建設花岡出張所長、大舘警察署長らが戦犯として裁かれ、6人が絞首刑の判決となった。しかしその後、減刑となり、55年までにすべて触法された。
この花岡事件の受難者・遺族が日本で裁判を起こし、「日中共同声明」で賠償請求が放棄されているものの、個人の権利は別として和解が成立しいる。昨日紹介した西松建設のような流れになった。
日本人が同じようなことをされたとしたら、日本人、日本社会は、どんな態度で臨むのだろうか?
そもそも、朝鮮人・中国人の強制連行労働の実態を、日本国内で起きたことなのに、当時、その地域の人は日常的に見ていて知っていたはずなのに、その実態が知られて、国民に受け継がれていない。
実態が知られていれば、最近の報道のトーンはもっと違っただろう。歴史的事実を実態を示し、追いながら、韓国の判決を評価すれば、かなり違ったものになるはず。
メディアも国民も劣化が激しく、恥ずべき事を思う。個人において、他人を傷つけた自分の過去の過ちを忘れ平然としていることと同じだからだ。
知らなかったではすまされない。日本に国内で、私たちの親やその親が見聞きしていたことだ。