昨日の「朝日」の声の欄に戦争体験が投稿されている。その中で広島県の89才の方の「特攻中止命令 終戦2日前」が目を引いた。引用し紹介したい。
15才といえば中学3年。1944年、この年で海軍飛行予科練習生になり、1945年8月13日、特攻出撃。
特攻機は通称「赤とんぼ」と呼ばれる複葉の練習機。ゼロ戦ならまだしも、練習機に重い250キロの爆弾を抱え飛び立とうとエンジン全開。
突然バッテンの合図が示され作戦中止。
「生きのびた」16才の夏。
「死にたくない、でも行くしかない」。
それが戦争だ 、
と言い訳されるわけにはいかない。
それは命令する側の都合の良い言い訳だ。
自らは特攻に行かず、16才の少年に死を命じる。
命令者の多くは、戦場に行かず戦争を生き延びた。
米軍の記録によれば、練習機「赤とんぼ」特攻は、米軍機のパイロットから「七面鳥撃ち」のように次々と撃ち落とされた。十代がほとんどだっただろう。
彼らが今、生きていれば、どんなに悔しいことだろう。
そして今の政治を見て、なんと言うだろうか?
防衛省の自衛隊日報の隠蔽…。
安倍首相の森友、加計問題にみられる行政の私物化と官僚の国会答弁、文書改ざん。
責任者にこそ、責任をとらせるべき
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(写真:ウイキペディアより)