いろいろと物色していて、めずらしい写真を見つけました。
私の田舎の天草の苓北町の坂瀬川の小路という海岸から出征兵士を見送る写真です。
当時は、五橋もなく陸路はありません。小さな船での出征です。
昭和12年といえば、太平洋戦争開戦の4年前なので、中国戦線に行かされたのでしょうか?
「海行かば」を歌って送ったのでしょうか。
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海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍
大君の 辺こそ死なめ かへりみは せじ
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こんな小さな集落からも知らない他国に行き、大君・天皇のため、
水漬く屍にもならず、草生す屍にもならずに帰ってこれた人。
その子どもたちとして、私たちは生まれ育ちました。
兵士として戦争でひどい目にあったでしょうし、中には異国の地でひどいことをした人もいたでしょう。
「そういう時代だった」と表現する気持ちは、理解できる気がします。
ですが、それでは次の時にも、繰り返しそうな言葉です。
何より他国で犠牲になった罪のない人たちには、口が裂けても言えない言い訳です。
戦争指導者は、本当のことを伝えずだまし、貧しい農村漁村の人々は本当のことを知ることもなくだまされ動員された。
当たり前に使っている出征という言葉にも他国を「征伐」と侵略肯定を忍ばせているように思えます。
「海行かば」の最後の「かえりみはせじ(振り返りはしない)」を、「繰り返しは せじ」と変えたら、歴史を物語る詩になるかと思います。現天皇は賛成すると思いますが…。
「繰り返しはしない」は憲法として表されましたので。