あさって、8月15日は、何の日でしょうか?
ネットで検索すると… そう、「■■■■日」というのが圧倒的にヒットします。
さて、自らの戦争を、どう受けとめ、どのように記憶として残していくか?
当事の、現在、未来へとつづく政府指導者にとって、そして過去から現在、未来へとつづく、主権者・国民にとって、事実を事実として記憶させる、するのは、きわめて大事なことです。
8月15日、何が行われたのか?
昭和天皇が、録音した「終戦の詔書」を、旧NHKが放送し、国民(当事は臣民)に知らせた日です。
戦争が終わった日?→終わると宣言した日。終戦記念日。
問題はそのイメージです。戦争が自然に終わった…感じ。加害も被害も責任も、あいまいな…、日本的な…。権力者の権力維持の操作、受け入れる国の民、過ちは繰り返されそうな…。
8月15日は、植民地下にあった韓国では「光復節」と称して、日本による朝鮮半島統治からの「解放」を祝う日であり、北朝鮮も同様に「祖国解放記念日」としている。
8月15日は、日本が戦争した相手の国にとっては、特別な日にはなっていない。その代わり、
9月2日、米戦艦ミズーリ号で、日本が降伏文書に調印した日を、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアで、対日勝戦記念日(VJデー)と記録・記憶している。
勝った国と、負けた国と、解放された国、それぞれにとって、国内的に、国際的に、ずいぶんな違いですね。なぜ?そうなったのか?、いろいろ考えさせれれます。
ポイントは、正義がいずれにあったか? 犯罪がどこにあったのか?でしょう。
もうひとつ。
対外への侵略だった戦争は同時に、国内的にみれば、戦争のくびきから解放された日だったはずです。
戦争指導者にとっては敗戦記念日、だまされ戦争に借り出された国民にとっては、解放記念日、のはずです。それは国際的に通用する9月2日がそれに相当するでしょう。
8月15日の玉音放送・終戦の詔書。しかしその原因を作った12月8日の宣戦の詔書、同じく昭和天皇が決定した文書です。
合わせて読んでみると、あの戦争とその時代が何であったのかわかると思います。いずれも、現人神であり統帥権を持っていた昭和天皇の決定です。
日本と同じ敗戦国のドイツは、降伏調印した5月8日をドイツ敗北の日としている。同時に後年、5月8日をナチ体制からの「解放の日」呼び、戦闘で戦死したドイツ軍将兵、連合軍の空襲で死亡した一般市民にも言及し、彼らも「ナチズムと戦争の被害者」と述べた大統領がいる。どうやら日本はガラパゴス状態で、先の戦争指導者の後継のアイランドとなりつつある。