サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

「華麗なる銀行」・・・・歌声


  こんばんは。今日は、ブログのつれあい(純子)が書かせてもらいます。
 実は、今年6月頃だったかな。歌声のIさんから「今年の九州の歌声で、金融の職場の様子を歌うので、一度聞きに来てくれませんか?」と声がかかっていたのですが、なかなか参加出来ませんでした。(私、47年間も銀行員として働いていました)
 ようやく10月6日、米村さんとも日程が一致してうたごえ喫茶「フラット」に出かけました。(写真左:米村さん)
 実は、20数年前、会社がつくった労働組合がなかなか私たち働くものの要求を取り上げてくれない。当時どんなに残業をしても1ヶ月の残業代は10時間分くらいしかつきませんでした。
 そこで菊池支店で組合の支部長をしていた米村さんが、支店全体をまとめ残業代の完全支給を求め闘いを起こしたのです。ところが会社は彼に「南関支店への配転」の辞令をつきつけてきました。
 一緒に働いていた仲間は「こんなことを許したら、職場でものが言えなくなってしまう」と考え裁判を決意し闘い始めました。当時残業だけでなく、預金獲得の激しさ、休みの問題などいっぱいあったのに、組合は働く人たちの立場にたってはくれませんでした。
 そこで私たちは「○○相互銀行民主化を進める会」をたちあげ、米村さんの裁判闘争と職場の民主化を求めて闘う決意をしたのです。確かその時、他の職場に働く労働者に声をかけ数十名の方々の参加を得て、「民主化を進める会」の発足を発表し支援を求めました。その中に歌声のUさんが参加しておられたのでしょう。「たたかう金融労働者」のうたを創って下さっていたのです。私たちは全く知りませんでした。公の場で発表されるのも今回がはじめてだったのかも知れません。
 「歌うにあたって、生の声を…」ということで声がかかったのだと思います。もしかしたら、「H銀行の行員さんの自殺」もあったのかも…… 歌を聞かせてもらいました。 歌詞のなかに「今の状況」と違うところもあったのですが、たぶん米村さんも同じだと思うのですが、心も体もスーと当時に戻っていました。あの頃の気持ちが感情が自然によみがえってきたのです。2人とも一言づつ話をさせてもらったのですが、あまり考えることなくスラスラと言葉がでた。という感じでした。うたを聞く前とあとでは気持ちが大きく変化している自分に驚きました。
 裁判は「和解」というかたちで決着。その後、私たちは会社の組合を脱退し、全国の金融労働者を組織していた「銀行産業労働組合」に参加。今は「金融労連 金融ユニオン」に発展し全国各地の職場で頑張っています。
 いまの日本の働く状況はますますひどくなっています。「ブラック企業」なんて言葉も生まれました。働く人たちだけでなく、日本に生きているすべての人々の上に問題が山積みです。自民党政治との矛盾はますます大きく、誰の目にもハッキリしてくるでしょう。
「九州の歌声祭典」は鹿児島で行われるとの事。働く多くの人たちに響くよう頑張ってきてください。 尚、熊本でも「くまもとの歌声祭典」が開かれます。日時は12月1日、場所は市民会館です。みなさんもぜひご参加ください。おおきな声でうたうとスッキリしますよ!(スミマセンなごうなってしもうた)