私たちは将来、こう問われる可能性がある。
ひとつは、「あなた方は何を考えていたのですか?目の前で北極の氷がすべて解けていくのが見えなかったのですか? 科学者の警告が聞こえなかったのですか?」と。
これは、温暖化と気候変動が進み、深刻な事態を迎えた場合、次の大人や子どもたちから発せられるだろう問いです。
私は、「何もしなかったわけじゃない。自分としてはブログに書いたし、危険な兆候を人にも話して訴え、努力したんだ。しかし力が足りなかった。人間のおごりと欲を止められなかった。申し訳ない」と、言い訳をするしかない。
みなさんは、どんな答えを用意されますか?
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2つ目に、こう問われる可能性もある。
「多くの人があれほど、解決不可能だと言っていた危機に対して、立ち上がり、解決する道徳的な勇気をどうやって見つけたのですか?」と。
できれば私は、未来の人たちに、こう聞かれたい。
そして誇りを持って、人類の発展の話をしたい。
「実はなー、2012年の9月、北極海で異変が起きたんだ。海氷が極端に縮小し、グリーンランドも融けだした。科学者が強い警告を発した。メディアは、写真と映像を写し、学者のコメントも紹介した。ネットもブンブン舞った。今日、明日どうこうなる話ではなかったが、人びとは真剣に受け止めた。話しあって、複雑な利害の調整に乗り出し、……なんとか間に合った…」と。
未来の人に、いや今の子ども達が大人になった時に、用意すべき質問は、今の「私たちの選択」です。
今年からの、
ゴア本−「私たちの選択」より。