今日の「熊日」夕刊「こち編」には、「日の丸・君が代反対の教員はおかしい」(82才男)と電話記事があり、他にも「嫌う人の理由がわからない」「国旗・国歌が決まってる以上認めるべき」「職務命令に従うべき」(61才)との電話もあったようだ。
保守王国熊本だから…にとどまらず、一般にそう思っている人は、多いのかもしれないなー。考えてしまう…。そこで私がイヤな理由を述べたいを思います。
私が子どもの高校の入学式に出席した時イヤな思い出がある。
厳粛な面持ちの体育館。座っていると、大声でいきなり「全員、起立」「国家斉唱」と命令調で言われた。「全員」?だいたい大人に向って、保護者に向って、いきなり「起立」とは何事か?失礼きわまりない。せいぜい「生徒は起立」、「保護者のみなさんご起立下さい」でしょう。
しかも、立ったら、これまたいきなり「君が代」を歌わされる。頭にきて「ドスン」と、まわりに聞こえるように座った。大勢の中で私だけだったか、あと1人2人だったか。
入学式が終わり、教室で帰り際に言われたのは、「あれがダメ、これがダメ」と高圧的に校則の禁止事項ばかり並べられ、なんで入学の、本来お祝いの席で、こんなに親が怒られなければいけにかと、むしょうに腹がたった。
歌というのは、歌いたいから歌う。これは歌の本質です。みんなで歌おうとする場合でも、嫌いな歌を歌わされるのはごめんだし、好きな歌でも、歌うことを強制されるのは真っ平ゴメンだ。歌は気持ちの表現。おしつけは、歌ではない。学校だから、会社だからとの理由で、いやなものを押し付けることはできない。勉強、仕事に直接支障がでない場合、強制をされる云われはない。集団の中での多数は、少数の人のそこを思いやり、尊重するのが民主主義でしょ。
私から言わせると、だいたい国家は悪い事ばかりやっている。水俣病でも、国家が病気をひろげた。苦労して裁判でやっと責任が明らかになったのに判決には従わない。地震列島で原発の「安全神話」を振りまき、事故が起きたらお手上げ状態、どう責任を取るのか?。
国家が庶民に良い事をやれば、自発的に国家は国民から好かれる。好かれないから強制、義務、法律で縛ろうとする。憲法で保障されている、良心の自由は尊い。その獲得にどれほど血が流れたか知るべき。
そもそも「君が代」さんも、強制されていやいや歌ってもらってもうれしいかねー。天皇だって、イヤじゃないかな。なんか、東京都教委の押し付けに対して、現天皇さんのそんな発言あったですね。
北朝鮮だって、リビアだってそうだし、ナチスだって、旧ソ連だって、日本軍国主義だってそんな押し付けの歴史だった。
現在の日本の学校で、陸軍下士官モデルの黒い詰襟の学生服、軍人モデルの中学の坊主頭、直立不動の整列、戦争に駆り立てた「日の丸」に向って、「天皇主権を永遠に」と、たたえる歌詞の「君が代」を強制的に歌わされれば、戦前の写真とまったく変わらない。
むかしと違うのは、石原東京都知事や橋下大阪知事、河村名古屋市長など、テレビタレント政治家が、有権者の支持を背景にやりたい放題していること。悪い事でもぶれない強いリーダーへの極度の依存症、この解明が必要だろう。痛みだけ押し付けた小泉「構造改革」を実現させた、小泉「劇場型政治」とメディアと国民との諸関係は、いまだ解明されていない。