昨日の続き「山本五十六の戦争」(保坂正康著)です。
ミッドウェー海戦で壊滅的打撃をうけた日本海軍の大敗北を受け、山本はこの時から自らの「死に場所」を探し始めた…」と保阪氏は書いている。
「死に場所」論--戦艦大和特攻と同じ。自分だけが死ねばよいとする、あとのことは知ったことではないに通じる無責任な死への逃避。
実際にその通りになって、日本の国民も将兵も他国民も筆舌に尽くしがたい悲惨な目にあった。我が子我が親を自分の手で殺した集団自決の「強制」もあった。空襲、原爆もを受けた。そんな体験もせず、見聞もせず戦死した、言っては悪いが比べれば気楽なもの。
国民の苦難を想像するなら、命を懸ける「死に場所を探す」ならほかにやることがあるだろう。
そんな生き方なら撃墜死されずにいたとしても、最後は大和に乗って沖縄を目指し、撃沈されて死んだだろう。「空気」のせいにして。残された人のことを考えない。
天皇家だって、敗戦によっては天皇制廃止の危機もあった。であれば山本氏は、生きながらえて、そんな危機を回避する方向で最後まで努力すべきだろう。途中で死ぬなんて(死に場所)卑怯で、責任を全うする事とはできない。
こんな死に方もある。山本五十六と共にあり、参謀長だった宇垣纏(まとめ)中将。玉音放送を停戦命令として受け止めず、16名も道連れにした沖縄への特攻攻撃……。悲しい。
adayasu.hatenablog.com
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そして今日、米軍基地が日本を覆い、米国の言いなりになっている日本の姿を見て、その霊たちはなんと思うだろうか?
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厳しい見方かもしれないが、こんな死の美化は徹底して批判したい。
ここで対置したい生き方は「白バラは死なず」のゾフィー。
21才の若さで断頭台で処刑された。死を覚悟しながら、ナチスへの学生の抵抗運動。
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死に場所を選んだわけではない。最後まで希望を持ちながら抵抗したし、生きようとした。
ゾフィーが最後の夜に見た夢。
でも、その夢(子ども)は、現在において一歩一歩かなえられている。
私も、命をかけるほとの勇気はないが、可能ならゾフィーのように生きたいと思う。
日本においても、人権や民主市議や平和を求めて投獄され拷問され虐殺された小林多喜二のよう人も少なくない。
彼らの生き方は、今に生きている。山本五十六の生き方は不幸だろう。彼の霊は、彼の生き方をどう総括するだろうか。
作家はどうとらえるべきか?
<ゾフィーの最後の夢>
「私は、陽のぽかぽか当たる日に、長い白い着物をつけた子どもを一人抱いて洗礼にいった。教会に行く道は険しく山を登るのよ。けれども私は、その子を固くしっかり腕に抱いているのよ。すると突然、目の前に氷河の裂け目があるじゃないの。私は、とっさに、やっとのことで、その子を安全な向う側に渡せたの。― そしたら私は、裂け目の底へ墜落しちゃった」