戦後75年、節目の年の8月も今日だけ。
保阪正康著の「山本五十六の戦争」を読んでいる。保阪氏の本は何冊か読み、多くの軍関係者から取材しての著述に好感を持っている。
本の帯には「日米開戦回避の志に反して、真珠湾作戦を指揮し、早期講和を念じながら、ミッドウェー海戦に臨む~」とある。
三章の「真珠湾作戦を指揮した胸中」まで読んだところで、ちょっとゲンナリ。
演歌や浪花節に通じる、悲劇のヒーローといった日本人好みの人物像だ。
山本五十六は、米英戦争回避したかったが連合艦隊司令官になり、最後まで開戦反対の気持ちを持ちつつ、早くから構想していた真珠湾の奇襲攻撃をやれば、早期の和平の可能性ありとも考えつつ、結局、戦端を開いた。
①敗北が分かっていながらやめられない「空気」に支配されながら
②そして短期決戦、奇襲攻撃すれば勝てる可能性ありと期待して…
ここには信念もなにもなく、悲劇のヒーローへの同情を引く期待しかない。
ここで対置すべき人物を紹介する。
特攻攻撃を命令されながら、抗命罪覚悟で最後まで命令を拒否し、部下を守った芙蓉体隊の美濃部正少佐。
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9回の特攻出撃命令を受け、名誉の戦死として盛大な葬儀も挙げられながら、その後も特攻出撃しながら生きて帰った佐々木友次特攻隊員。
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最後に対置したい人物は、山本五十六自身。
日本を滅ぼす対米戦争回避の彼の信念を貫くため、連合艦隊司令官を辞任したとする場合の山本五十六。
少なくとも悲惨な戦争を開くことに加担はしなかったことになる。
さらにもう一つ。山本五十六が戦後も生き延びたとし、日米それぞれの事実経過を知った場合の山本がどう思い総括するかだ。その教訓をこそ日本に活かすべきだ。この場合、辞任して生き延びたでもいいし、不遇な配置転換で生き延びたでもよい。
理想論かもしれないが、そんな生き方こそ対置して示すべきだ。でなけでば悲劇悪に寄り添い同じ過ちを繰り返す。
(誰か、そんな小説を書いてくれないかな?)
信念とはこういう人のことをいうと思う。不条理な上の命令に抗しきれない弱さと無責任さを悲劇化でゴマカス日本の指導者にありがちな文化、一般ピープルは拒否すべきだろう。