以前書いた「地球に住めなくなる日」の続きです。
進歩が終わったあとの歴史 という章があって、初めて聞いた発想に、なるほど、と思った。
この発想、ローマクラブの「成長の限界」の派生系かもしれない。
私たちは、歴史を「進歩」として、正しいものと信じている。果たしてそうなのか? よくよく考えてみた方がよい。
歴史を推進させる力は、はたして「正しい側」なのか?
過去を見れば、文明に触れる前の先住民、農業革命以前の人類の方が持続可能な生活であったし、生態系と地球と共存していた。
今、持続可能社会を求めているが、総体としては言葉だけのようだ。同じ、賢い人=ホモサピエンスなのに、過去の人、狩猟社会、初期農耕社会の人間の方が普通に持続可能をやってのけていた。だとしたら文明、科学、技術の発展とは何なんか?
産業革命以来、CO2が280ppmから415ppmへ、全球温度も1.1℃上昇となった。
だが勘違いしない方がいい。200年前から起こった変化にしても、CO2排出のほとんどの責任は、いま生きている私たちにある。
気温上昇が温室効果ガスで起こると世間一般で知られるようになり、科学者と政府が対策を議論し始めてからの方が、排出量は圧倒的の多い。
つまり、わかっていながら止めない、止められていない。今の私たちがどうするか?だ。
歴史が途絶えてしまうと言うのに、歴史の進歩と思い込む愚かさ。
進歩は人類生存の土台である生態系と地球のシステムを維持してこそ、そこまで人類の活動、その根源の欲望を制限してこそ可能だ。
今や、進歩とは開発ではなく、開発、過剰な活動からの後退、撤退こそ進歩だ。
- 作者:デイビッド・ウォレス・ウェルズ
- 発売日: 2020/03/14
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