「サスティナビリティ」考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

徴用工問題と劉連仁さん③

f:id:adayasu:20190930130606j:plain:w360:left 劉連仁さんの話の続きです。著者の早乙女さんが中国に帰った劉さんを訪ねて話を聞いています。
 劉さん村は人口600人ぐらいの小さな村。その村で9人が亡くなった(強制連行から帰ってこなかった)そうです。

 劉さんが中国に戻ってから、強制連行され帰ってこなかった人の子どもたちが、本当に亡くなったのかどうか?相談に来た人が各地から200人もいたそうです。中国からの強制連行で約7000人の亡くなったが、その家族の思いはどんなだっただろうか。
 劉さんが傀儡兵に捕まった時、妻は途中まで追いかけたそうだ。しかし7ヶ月の身重でどうすることもできなかった。どんな悔しい悲しい思いで生きてきたのだろうか。
f:id:adayasu:20190930130550j:plain 北朝鮮に拉致された横田さん家族と同じような辛い思いだったう。(写真:故郷の人たちから出迎えられる劉さん)
 劉さんが連れ去られてから40日後に生まれた長男の換新さん。
「物心つく頃、母親や祖父母やいつも泣いているのを聞いていましたよ」「大黒柱を失った一家の苦労といったら、そりゃーたいへんなものでした。しかし母も家族たちも、おやじがきっとどこかで生きていると信じてきました。信じてはきたけど、祖父はすぐに死んだ。祖母も、おやじが無事でいるという知らせが届く少し前に亡くなりました」「我が家はおやじが無事帰ってきたからよかったけれど、痛みのある家がまだまだ無数にあるということなんですよ」と語っている。
 劉さんが発見されたあと、内閣官房長官の代理として赤十字の外事課長がやって来て長官名の手紙と10万円(現在で300万円相当)もってきたそうだ。手紙の内容は、「戦時中日本に入国され」とあり、謝罪の言葉もなかったそうで、怒って劉さんはお金を突き返したそうだ。
 日本政府はいつもこのように、加害者でありながら国家の権力を振りかざし、被害者を見下す態度で、自らの責任を認めようとしない。水俣病の犠牲者をたくさん発生させた時も、被害者に「見舞金」として解決をしようとした。
 劉さんが受けたらなかった。後年に裁判に訴える事になった。