大きいでしょう。
実家の近くのお宮のところにあります。
何の木かわかりますか?
椎の木です。
子どもの頃、よじ登ってました。
なんのために?
もちろん、
椎の実をとって食うためです。
真っ黒い、小指の先の半分ぐらいの小さな実ですが、生で食っても炒って食ってもうまかった。
ずいぶん大きくなった。まだ木が小さかった頃、幹の二股のところに私の股がはさまって、脱出にやたらと苦労した覚えがある。
椎の木さま、その節はたいへんお世話になりました。もう何十年も、誰もよじ登らないでしょうけど、これからも末永く大きくなって下さい。
今みたいに、便利なコンビニはない。ケーキやお菓子やジュースもない。親は買ってこない。
この時期だと、柿、ミカン、ナシ、野イチゴ、アケビにマツタケなど、与えられし自然コンビニ。
時には、自分ちの畑以外のものでも…。例えば、こんな風に。まず、
「すみません、いただきます」と、心につぶやいて、断りを入れる。
ミカンでもなんでも、商品に出すようなものは、手を出さず、小さいとか、歪んでいるとか、下の方とか、遠慮気味に、失敬する。
無用なトラブルを避けるため、皮や種は、その辺に捨てたりしないで、離れたわからない位ところに処理する。
与えられたもの以外に知らない、無欲の幸福感が、大人になってから、やってくる。あふれかえる商品に埋没しないですんだ、与えられし子ども期に感謝する。
欲には限りがない。しかも不幸さえもたらす。
与えられた範囲で生きる事は、それなりの幸福感があり、他の生物種はそれで生きている。
与えらた自然・地球が許容する限界内で、どうして幸福感が感じられないのか?
地球の限界は近いのに。