サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

真珠湾奇襲―謝罪がそんなに嫌な事なのか?

 謝罪するのいがそんなに嫌な事なのか? 
 私たちの日常生活に、たくさんの間違いがある。それにともない同じ程度の謝罪がある。(エライ人ほど、認めない誤らない傾向はあるが…)
 感謝もあれば、同じ程度のありがとうもある。
 ことの発端である真珠湾への奇襲・だまし討ちは、日本の時の国家指導者が行ったことだ。
 率直に誤ればいい。なんのことはないし、素直な方が好感される。
 広島・長崎への原爆投下は、残虐兵器で民間人を無差別大量殺傷したので、時の米国指導者の罪として、現在の指導者が現地に行って謝罪すればいい。
 日本は植民地にした朝鮮半島、中国、アジアの人々に惨い事をした、日本の国家・指導者の罪も素直認め、今の政府が率直に誤ればいい。潔さは日本の美でもある。
 ドイツは、過去の過ちを率直に誤り、今でもその姿勢を貫いている。そして平和な関係を回りの国々と築いている。
 それが過ちを繰り返さない道だ。どの国の国民も、日常生活ではそうしている。
 戦争犯罪、人道への罪、植民地支配、それぞれは指導者が起こした国家の罪なので、謝罪がなければ、被害者は浮かばれない。
 同じ過ちを繰り返す、指導者を選ぶ過ちを繰り返す、加害国民となる過ちを繰り返す。
 食品偽装、車の欠陥、わかれば、会社の社長はすぐに謝罪し、改める。
 国民生活レベル、被害者レベルと考えるとなんでもない事だが、なぜか?国家となると違ってくるようだ。
 指導者の過ち、国家の過ちを、国民自らの過ちだと混同し、思いこまないでいい。
 そんな指導者を生み出した事に対する反省なり、後悔なりこそあるべきだろう。
 今の私たちが過去の歴史の事実をしっかり認識し、その上に、何らかの思いは生まれてくるもとのと思う。それが、二度と同じ悲劇を生み出さない保障だろう。
不戦の近いは、同盟国以外と結ぶ努力をすべき❗