サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

カライモの風景


 西原村でよくみかける風景です。
 煙突ぽいのが見えますけど…。(写真)

 益城西原村といえば、カライモです。
 収穫したカライモを収納するための地下倉庫。
 適温、適湿度のため保存に良いとのこと。
 地震で壊れたものもあるようで修理に苦労されているところもあるようです。

 今の収穫は、機械が掘って拾い上げ、カライモも選別してコンテナに収納するだけのようです。高齢者が多いだけに機械でなければやっていけないでしょう。

 こんな風景を見ると、子どもの頃を思い出します。
 天草の苓北の木場の「迫ん山」の段々畑。谷合からは長崎を望む海が少し見える。
 掘り起こす前、葉っぱやつるは切り取って、干して乾燥させ、切って牛のエサにしました。
 カライモを掘るのは手作業です。運ぶのは天秤棒に担いで畑から家まで。か細い母、父の仕事。耕運機を買ってからは、トレーラーに乗せて運びました。
 収穫したカライモは、輪切りにして、屋根の上に干して乾燥させたのもを、でんぷん工場に出荷していました。かなり昔の子どもの頃のこと。
 他には、輪切りにして、真ん中に穴を開け、そこに縄を通して大きな釜でゆでる。ゆでて黄色くなったものを軒先につるして干す。
 秋ごろから始まって、正月用のモチをつくる時に、モチに混ぜでて作るのがコッパ餅です。
 餅はコッパ餅のほかに、普通の「あんこ」入りのモチ、と塩入りの「塩あん」モチ、水に漬けてカビが生えるのも防ぐ「漬けモチ」、薄く切って油で揚げる「かきモチ」、かがみモチやら、種類も豊富でした。量が多いので、親戚同士が子どもからばあちゃんまで家族総出の作業。機械でモチをつきますが、モーターで機械を回したり耕運機で回したりで大仕事。
 コンビニもない時代、冬の保存食とし重宝されていた。今のように、日常的にお菓子はなく、盆、正月、祭、そして葬式など、特別の時にもらえた。なので親は、日常的にモノを欲しがる子どもらに「禁止」「ダメ」を日常的に連発する必要がなかった。
 子どもらはしぜんと、自然に食べ物を求める。季節ごとに、山も川も海も、甘いものから酸っぱくうまいものまで提供してくれた自然。店に並び親が買ってくる今と違い、食べ物がなんたるか?子どもにとって食べ物はあるがままで直接的でも獲得には能動性を促す。その獲得のための危険察知力は、子ども個人にも、子ども集団にも与え、引き継がれた。
 やがて10月、柿が熟してきても、子どもらには、食べ物の本質的意味がわからない。
 今、思えば貧しかったようにも見えるが、子どもとしては、与えられし家庭と社会。今から思えば、子どもにとっては、自然に囲まれ、自由でのびのびしていた時代、かなり豊かだったとも思える。もちろん環境負荷もほとんどない時代。強制性がない。幸せだった。
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 話を飛ばしてしまうが、憲法についても「与えられ憲法」そのままでなく、権力からの「獲得憲法」の重要性に思い至る。しかし与えらてしまったならば、良いものでも、主権者として日米両権力からの「獲得作業」に入るしかない。単に「護る」のではなく。