サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

エイミー・グッドマン Democracy Naw!

 宜野湾市長選は、現職の佐喜真氏が当選した。
 選挙戦で一番大事な事は、有権者のマインドをつかむことと言われている。
 争点をどのように打ち出し、どのように伝えるか? または争点そらし、争点ぼかし…
 おそらく官邸サイドの広報戦略がうまくいったということだろう。私はその内容を勉強したいところだ。
  昨日の続きで、「いまこそ民主主義の再生を!(岩波)」のデモクラシー・ナウのエイミー・グッドマンのつづき、彼女が体験したこと紹介・引用したい。
 東ティモールは、オーストラリアの北側、インドネシアに近いところの人口110万人ほどの島国。この小さな国を植民地としていたポルトガルが1975年に撤退すると、インドネシア軍が米国の承認のもとで侵攻してきた。そして1999年まで占領し、人口の1/3を殺害したとされる。
 その時のインドネシア軍の訓練と資金と武器は米国が提供していたが、米国ではほとんど報道されず、国民には知られていなかった。
 グッドマンは同僚とともに米国人ジャーナリストとして現地に入った。
 91年10月、首都デリの教会を包囲したインドネシア軍が銃撃し、セバスチャンという若者が殺された。追悼と抗議のデモ参加者はひろがり、墓地へとつづいた。
 そのルートにインドネシア軍が米国製のM16ライフルを向けて立っていた。前方からも銃を構えたインドネシア軍が近づいてきた。
 グッドマンらは、群衆の前を歩いた。報道陣である事示すためにテープレコーダーを肩にかけ、カメラとマイクを掲げヘッドホンつけて。
 インドネシア軍は、何の警告もなく群衆に向け発砲、人々を撃ち殺した。最初に倒れたのは、平和のマークを持っていた幼い少年だった。
 兵士たちは、グッドマンらを取り囲み、マイクを取り上げて蹴り、地面にたたきつけた。
 銃を突きつけられた。
「私たちは米国人だ!」と叫び、パスポートを投げつけた。米国人と知った彼らは銃をおさまえた。しかしその日に殺されたティモール人は250人以上という。
 米国にもどったグッドマンらは1991年1月12日、記者会見し、「これはインドネシア軍だけの問題ではない。彼らが発砲していた時に手にしていたのは、米国が供与した銃だ」と証言した。

いまこそ民主主義の再生を!――新しい政治参加への希望 (岩波ブックレット)

いまこそ民主主義の再生を!――新しい政治参加への希望 (岩波ブックレット)

 2002年5月20日、ついに東ティモールは独立した。
 講演の最後にグッドマンは言います。「報道関係者も大学教授も学生も図書館員も、実業家もアーチストも、雇用中でも失業中でも、私たちの前には日々、一瞬一瞬、下すべき決断があるのです。自分たちがなろうとしているのは剣か盾かDemocracy Naw!
 命をかけなければならない事態に至る前までの、様々な段階で、勇気を奮い起したい。