昨日のWDW熊本動画をご覧下さい。音楽、主催者あいさつ、3人の学者のあいさつです。
次は8月23日です。
https://www.youtube.com/watch?v=lP_6KLveE2w:Movie
「毎日」の13日に佐藤卓己京大教授が「8月ジャーナリズム」論を書いている。
例年、8月15日の「終戦」記念日まで、戦争に対する報道が盛んで、お盆を過ぎると戦争に対する報道・議論が減っていくという季節的報道に対するギモンである。
歴史を正確に振り返って、事実にもとづく言葉の定義と、そこから発する歴史イメージを再定義する必要があると思う。佐藤氏の主張を紹介すれば、
昭和天皇の「終戦の詔書」は、「忠良なる爾臣民に告ぐ」から始まっているが、神様である天皇が、家来である国民に告ぐ、となっていて、英米や中国やその国民向けではない事。
日本政府は14日にポツダム宣言受諾を連合国に通告、トルーマン米大統領は、14日の午後7時にラジオで日本の降伏宣言を発表し、「対日戦勝記念日の布告は、日本が降伏文書に正式に署名するまで待たねばなりません」と宣言した。
それは9月2日であり、東京湾のミズーリ号での降伏文書調印の日である。日本では、8月15日が「終戦」記念日で、天皇が宣言して戦争が終わったイメージになっているが、連合国からいえば「戦勝記念日」は9月2日であり、「日本の敗戦記念日」も9月2日である。 更に加えれば、9月2日は日本軍国主義からの国民が「解放された記念日」でもある。
このズレについて何の疑問を持たないのはなぜか?
佐藤氏は、戦後70年の安倍談話が、70年前と同じく国内向けではないかと問い、世界に向けたものであれば、世界的な戦勝・敗戦記念日の9月2日にされるべきではないかと問うている。
更に、9月7日が在沖日本軍の降伏文書調印、数年後の9月8日がサンフランシスコ講和条約の調印日であることから、8月ジャーナリズム〜9月ジャーナリズムへと、理性的で対外向けの議論が展開されるべきと期待する。なので私のブログも戦争ものが9月までつづきます。
日本の加害が語られずに、その国内的自覚が避けられ、日本の軍国主義者が一掃されず、温存されてきてきて、今や、対米従属下で復活を遂げようとしているのが、戦争法案、立憲主義破壊の現れである。