サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

ペリリュー島で慰霊

 天皇・皇后が高齢なのに、ペリリュー島を訪れ、犠牲者を追悼された。

 激戦の地で日本軍が1万人も亡くなり34だけが生き残った。米軍も比較的多大な1700人ほどの犠牲がでた。
 戦争とはいえ、必要だったのか?やむを得なかったのか?
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 先の戦争では、危うく天皇制そのものがなくなくところだった。
天皇家は、国際世論を押し切った米国・マッカーサーに救われ、利用されて今日へと存続している。
 ペリリュート島で天皇は、すべての犠牲者の死を悼んだ。
 二度と戦争はすまい、利用されたくないとの強い思いかもしれない。いま、戦争への空気を感じておられるのかもしれない。  
 ニュースの報道は、気に入らない。戦没者の響きは戦死者よりも、なにやら自然現象・社会現象のような響きだ。責任があいまいだからだ。
 戦争とは言え、余りにも悲惨な死を強いた責任者は誰だ。自爆攻撃をさせたのは誰だ。
 誰が起こした戦争で、誰が考えた作戦で、誰が実行させたのか?
 敗戦は明らかだった。なぜ降伏しなかったのか?
 ムダな犠牲を強いて、更に拡大する犠牲、硫黄島沖縄戦、広島、長崎へとつづく。
  その責任は、きちんと問われ、取らされ、教訓として今日に生かされているのか?
 集団的「自衛」権・海外派兵。今度は、世界最強の米国といっしょなら負けない、と列強になりたがる極右が政権を牛耳っている。「戦争立法」許すまじ。
 ペリリュー島訪問へ、天皇の思いは