サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

特攻=人間兵器

 先日の「歴史人」とのつづきです。 
 
 日本の戦争指導者は、人の命を武器の部品と考え、ありとあらゆる人間兵器を考えだした。
 「特攻」=人間兵器は、航空機以外にも、魚雷、ボート、ロケット、爆弾抱えて戦車に体当たり、潜水服で海にもぐって米艦船の底を爆弾つ突く「伏竜」というものまであった。

 そして、軽く扱われる命は、死の美化で重々しく恭しく語られ、命の大量動員にシステム化された。
 国家のために戦って死ねば、神様になり靖国神社の祭られる。今日、中東などで行われているおぞましい自爆攻撃、仕向ける人がささやく呪文と同じだ。

 違うのは、今日の多くの日本人がこれを「よそ事」として忘れ、「特攻」自爆攻撃を生み出した出発点は、日本だったのを意識しない事だ。戦前の流れをくむ人らが、戦後そういうシステムを作り上げた。
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 「当時はそう言う時代だった」では済まされないと思う。
 また、政府指導者や戦争指導者が部下に犠牲を強いるシステムは、体罰や校則をへて、現在の労働現場での過労死や過労自殺に生きている気がする。
 「人間兵器」は、戦果少なく、犠牲は多かった。訓練事故も含め、犠牲になった人、その時の思いはさぞ無念だっただろう。
 しかし彼らが、今日に至った時点から当時を見たら、なんと叫ぶだろうか? 私たちはそれを想像し、今と、これからの教訓にすべきと思う。

 わずか68年前までの戦争中、天皇は生きた神様で、国民は天皇の家来という身分だった。人命や人権は、無きに等しかった。今の北朝鮮以上。
 軍人勅諭の一説では→「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」とあり、「普段は命を無駄にせず、けれども時には義のため、喩えば天皇のため国のために、命を捨てよ」と命じたものとされる 明日は、あまり知られていない戦艦大和の特攻について。
 オバマ大統領、おまえもか! やめろ



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