サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

マルチン・ニーメラーの夢-現代に生きる

   ゾフィーは処刑された。しかし抵抗しながらも生き残った人もいた。マルチン・ニーメラーはどんな夢を見たのか?  昨日のつづきです。宮田氏は「ナチ・ドイツと言語」で以下のように紹介している。
 M・ニーメラー牧師は、ナチス政権成立前後からドイツ教会闘争の指導者としてヒトラーと対決し、強制収容所に入れられた。戦後は、核武装反対の平和運動をすすめた人だ。
 1934年、ドイツの教会指導者たちが、ヒトラーに対して抗議の覚書を手渡すため首相官邸に出かけた。その時、激昂するヒトラーと、ニーメラーは激しい論争をくりひろげたようだ。
 その後の37年、国家反逆罪で逮捕されたが、驚くことにニーメラーは無罪判決を勝ち取った。しかし釈放されたニーメラーは、裁判所からそのままゲシュタポにつれられて保護拘禁され、敗戦まで強制収容所に入れられた。
 1945年、ナチス・ドイツは降伏し、ニーメラーは釈放され自宅に戻った。その年に、こんな夢を見た。
「私は白雲から発する眩いばかりの明るい光を見つめていなければならなかった。首を回したり、目を動かしたりすることはできない。光とともに一つの声が響いてくる。それは、私の傍らをかすめて、誰か別人に向けられている。しかし私は、首を曲げてそれが誰であるかを見ることができない。その声はこう尋ねている。『お前は何か申し開きをすることがあるのか』そして、それに答えている声を聞いたとき、私はすっかり仰天した。『はい、私は、かって何びとも、福音を語ってくれませんでした』と答えるその声は、まさしくアドルフ・ヒトラーのものだったから。私は驚きのあまり目が覚めたが、雲間から聞こえてくる次の声が、私に向かってこう尋ねているのをはっきり予感できた。『お前は、なぜ、この男に福音を語らなかったのか。お前は、かつてたっぷりとこの男と一緒にいて、口論し、罵倒しあったではないか。それなのに、お前は、この男に福音を告げはしなかったのだ』と。
 ニーメラーは、この夢を何度もみたと言う。そして彼は、ヒトラーに抵抗した自分までも、また、かつてナチス・ドイツの成立と支配に対して共同責任があると自覚せざるをえなかったようだ。
 ニーメラーの夢は、ドイツ教会のシュッツガルト贖罪宣言の発表につながった。さらにこの思いは1985年のワイツデッカー大統領の「荒れ野40年」の演説。
 「過去に目を閉ざすものは、現在に対しても目が見えないものとなる」と語り、40年前のナチス・ドイツの歴史を忘れずそれに対する責任をとることによって、現在、未来への責任を果たさなければならないとの主張につながった。ネオ・ナチも流行るドイツで、この思いは強く息づいている。
 M・ニーメラーはこんな詩を残している。
 ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
 ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
 ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
 ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。

(彼らが最初共産主義者を攻撃したとき)
 M・ニーメラーの選択は、死をまぬがれた幸運も加わって、戦後のドイツの選択により良い視点を示した。
 いま日本で公務員が不当に攻撃されている。見逃していいのか? 明日は、