サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

お宮の下の松の木

  子どものころ、家の上の高台に高くて大きな松の木があった。よくトンビがとまっていたのを覚えている。大きな切り株が残っていたのも覚えているが、どうやら松食い虫にやられたらしい。おそらく今から40数年前だろう。写真はさらに古く、公民館に飾ってあった写真をカメラにとった。
 松の木のうしろにお宮がある。下の方の麦わら家が農家の私の元の実家。隣りの麦わら小屋に牛を飼っていて、エサやりが私の日課だった。手前には、見えないが小川が流れている。水道はなくて、家に中に井戸があって、バケツをチャポーンと落として水を汲んでいた。飯炊きは当然薪、姉の仕事。風呂はなく行水。いろりがあって、天井はすすだらけ。家の縁側には、ニワトリを飼っていて、夕方は「トウトウトウ」言って小屋に入れるのも仕事だった。1日に1個か2個か生む卵、時にフンがついている卵はご馳走で、醤油をたっぷり入れて量を増やし、子ども3人で順番に1/3づつご飯にかけて食べていた。ありがとうニワトリAさん一家。思えば親は食ってないなー…。
 狭いゲージに入れられ、急いでエサを食べさせられ、わずか2〜30円で売られ、時々腐らせられる卵を産むしかない日々のニワトリに比べ、昔のニワトリがどれほど幸せだったろうか。逆説的に考えると不幸なニワトリに上にたつ人間の食生活は、幸福たりえるのか?(今日の弁当にも卵焼きが入っているはず、どこのゲージに入れられた鶏さんが産んでくれた卵か知りませんが、まずは鶏Bさんに感謝)
 いま思えば、化石燃料はほとんど使わない持続可能な経済社会、貧しかったが実に豊かな子ども期だった。親はたいへんだったろう、朝から晩まで働いて。
 今、毎日、パソコンに向かって記録するのが仕事だが、スイッチを入れなくても、すぐによみがえるのが子どものころの思い出…。しばらく連載します。明日からマツタケ編。